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抑止(deterrence)とは、自国の能力を見せつけ、他国が一定の行動をとることを思い止まらせることをいう。政治学者のシュナイダーは我に対する軍事的な行動を選択させないために、その行動から得られる利得を上回るだけの費用、危険を相手に見せつけることとして抑止を定義している(Snyder 1961: 3)。一般に核戦略の研究で用いられてきたが、現代の戦略学の研究で基本概念の一つとなり、通常戦力の配備や運用でも抑止が追求されている。
第二次世界大戦でアメリカが初めて核兵器を使用して以来、戦略の研究では、この新兵器をどのように開発、配備、運用すべきかをめぐって議論が重ねられてきた。この核兵器の運用構想に関する議論としてバーナード・ブローディが提唱した概念が抑止である。ブローディの説によれば、核兵器の威力は通常兵器に比べて非常に高いことから、これを通常兵器と同等の戦略によって運用すべきではなく、少なくとも戦闘において勝利を収めるための手段としては適当ではない。
そのため、核兵器は相手に武力攻撃を思い止まらせる抑止のために兵器とすべきであると考えられていた。冷戦初期のアメリカ軍はヨーロッパ正面でソ連軍に部隊規模で劣勢だったが、もしソ連軍が攻めてくれば、核兵器の集中使用により数的劣勢を挽回する戦略を採用していた(大量報復)。やがて、アメリカだけでなく、ソ連も核兵器を保有し、さらに弾道ミサイルという迎撃が困難な核弾頭の運搬手段が実戦配備されるようになったことで、アメリカだけでなく、ソ連も相互に核兵器で抑止し合う状況になった(相互各章破壊)。
核兵器による抑止は、自国が核兵器を使用する準備があることを相手に信じ込ませなければ成立しないが、実際に核戦争に踏み切れば、双方ともに多大な損害を出すことになる。そこでアメリカ軍は敵軍の侵攻に対して直ちに核兵器を使用するのではなく、当初は通常戦力で対処し、事態が深刻になるにしたがって核戦力での対処に移行するという戦略を採用した(柔軟反応)。そのため、当初は核兵器の運用を念頭に使われていた抑止の概念は通常兵器の運用にも広げて使われるようになり、核抑止と通常抑止の二つを併用する抑止が研究されるようになった。
さらに、抑止の研究が進むにつれて、懲罰的抑止(deterrence by punishment)と拒否的抑止(deterrence by denial)を区別する必要も認識されるようになった。懲罰的抑止とは、反撃能力を重視した抑止であり、もし敵国が自国に核攻撃を加えてきたとしても、敵国にも同等の被害を及ぼすことができる核兵器を準備しておくことで、抑止の効果を確保しようとするものである。反対に拒否的抑止は、敵国が自国に対して核攻撃を加えてきたならば、敵国の核攻撃の効果を食い止めることができるだけの防御の手段であるミサイル防衛を整備しておくことで、抑止の効果を確保するものである。
この懲罰的抑止を追求する場合、抑止を目的としていても、相手は自国の意図を完全に知ることはできないため、危険を感じて過剰に反応し、軍拡競争に陥るリスクがある。これを安全保障のジレンマ(security dilemma)という。拒否的抑止には安全保障のジレンマがない、あるいは極めて小さいが、相手が攻撃から期待する戦果を最小限に抑え込むことによるため、例えば瀬戸際外交や示威活動のような小規模かつ限定的な形態で行われる武力攻撃を抑止しにくい場合があると考えられる。
抑止の類型化はこれ以外にもさまざまあり、例えば自国の抑止ではなく、同盟関係、友好関係に基づいて「政策決定者が他国に軍事的報復な脅迫を行い、その防衛国の同盟相手に対する武力行使を防止する試み」を拡大抑止(extended deterrence)と呼ぶ(Hugh 1988: 168)。拡大抑止では抑止を提供する側と、抑止を接受する側、さらに抑止される側の三者関係が発生することになるため、その戦略的な相互作用は一層複雑になる。
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