デルブリュック

デルブリュック

ハンス・デルブリュック(Hans Gottlieb Leopold Delbrück 1848年11月11日 - 1929年7月14日)はドイツの歴史学者、政治家である。

経歴

ベルゲンで地方判事の家に生まれた。グライフスヴァルトの受験予備校を経てハイデルベルク、グライフスヴァルト、ボンで大学教育をうけた。22歳でフランスとの戦争に従軍したが、チフスにかかって後方に送還されている。戦後は大学に戻り、1873年に歴史学の研究で博士号を取得した。1874年、バーデンの閣僚の支援を受けてプロイセン皇太子の息子に当たるヴァルデマー王子の家庭教師に任命された。

この間も予備役将校として部隊に勤務し、またクラウゼヴィッツの著作を読むなど、軍事学の研究に本格的に取り組むようになった。1879年にヴァルデマー王子が死去したため、デルブリュックは職を求めて大学に戻ることを決め、1881年に教職の地位を得た。しかし、大学で軍事学を教えることが許可されていなかったため、中世、古代の歴史として軍事史を講義するようになった。これらの講義をもとにして執筆したのが、デルブリュックの主著として知られる『政治史の枠組みにおける戦争術の歴史』である。これは実証的な歴史学の方法に基づいて研究された軍事史の研究だったが、当時の歴史学において軍事史はあまり重要な研究主題と考えられておらず、高い評価を受けなかった。

やがてデルブリュックは政治の道を志し、1882年にプロイセンで議員に選出され、1884年から1890年までドイツ帝国議会の議員を務めた。その間に『プロイセン年報』の編集長にも就任したが、内容が政府にとって批判的なものだったため、大学人事にも影響が及び、1895年まで教授になることができなかった。1895年にベルリン大学の員外教授になり、翌年には世界史の教授としてハインリヒ・フォン・トライチュケの後任になったが、その後も学界の評価が高まることはなかった。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、デルブリュックは民間の軍事評論家としてドイツの戦略に批判を加えている。戦後、ヴェルサイユで行われた和平交渉では、ドイツの代表団の一員として参加した。ベルリンで死去。

主著

デルブリュックの著作で特に重要な業績と位置付けられるのが『政治史の枠組における戦争術の歴史(Geschichte der Kriegskunst im Rahmen der politischen Geschichte)』である。この著作は古代からナポレオンの時代までのヨーロッパにおける戦争術の発達を全般的に説明した著作であり、軍事史の研究を戦闘、戦役だけでなく、社会史、技術史、政治史などとも関連付けることによって、軍事史の発展にとって大きな貢献を果たした。日本語にも部分的に翻訳されている。

  • Delbrück, Hans. 1962. Geschichte der Kriegskunst im Rahmen der politischen Geschichte. Vol. 4. Berlin.(オンライン版の閲覧
  • Renfroe, Walter J. 1980. History of the Art of war within the Framework of Political History. London.
  • 小堤盾編著『戦略論体系12 デルブリュック』芙蓉書房出版、2008年