ミクシェ

ミクシェ

フェルディナント・オットー・ミクシェ(Ferdinand Otto Miksche, 1905年4月11日-1992年1月1日)はオーストリア・ハンガリー出身の陸軍軍人である。電撃戦に関する先駆的な研究で知られている。

経歴

出身、家系、経歴に関しては不明点が多い。戦間期の1927年にチェコスロバキア軍に入隊し、スペイン内戦が勃発した際には国際旅団の一員として従軍して戦闘の経験を積んだ。その後、チェコスロバキアに帰国しているが、間もなくドイツによってチェコスロバキアが分割、併合される事態になった。1939年に第二次世界大戦が勃発してからはフランス、イギリスなど各地を転々としていたが、1941年にイギリスで出版した『電撃戦(Blitzkrieg)』はドイツ陸軍の戦術に関する優れた研究として評価された。リデル・ハートと交流を持ったのも、この時期からのことである。フランスのシャルル・ド・ゴールの下で私設顧問として働いた。戦後、チェコスロバキアは独立を取り戻し、同国の駐在武官として働くことになったが、冷戦の影響によって1948年にチェコスロバキアは共産化し、東側の陣営に組み込まれた。この頃に正式にフランス陸軍の士官として任命されている。1950年には『秘密部隊(Secret Forces)』で非正規戦の研究成果をまとめ、ポルトガル軍事研究所で一時的に勤務した。1955年にはフランスに戻り、フランス陸軍において工兵科士官として勤務し始めた。この年には核戦略に関する研究として『原子兵器と陸軍(Atomic Weapons & Armies)』を発表している。

著作

ミクシェの評価を高めた著作は『電撃戦』(1941)であり、これは戦術学の観点からドイツ軍の電撃戦に対抗するために、どのような思想で防御戦闘を指導すべきなのかを論じたものである。日本語に翻訳はされていないが、『攻撃:電撃戦の戦術に関する研究(Attack: A Study of Blitzkrieg Tactics.)』という表題で再版されているため入手はしやすい。

Miksche, Ferdinand O. 2008(1941). Attack: A Study of Blitzkrieg Tactics. London: Kessinger Publishing.