ドクトリン

ドクトリン

ドクトリン(doctrine)とは、ある目標の達成に向けて軍隊の活動を調整しながら運用するための指針となる基本原則である。それは平時において教育訓練や各種演習の基礎であり、戦時において部隊が作戦を遂行するための標準的な方法を規定する。それは公式に承認された原則ではあるが、実際の問題に適用する際には判断が求められる。

軍事学の研究領域においてドクトリンの解釈にはかなりの幅がある。ドクトリン(doctrine)という英語はラテン語のdoctrinaに由来しており、それは教えること、学ぶこと、指導することなどを意味していた。そのため今でも辞書ではドクトリンを「原則や規範として教えられているもの、つまり規則、理論、根本原則、あるいは国策の公式な声明」と説明している場合が多い。ただし、『国際軍事・防衛百科事典』で「ドクトリン」の定義を調べると、「ドクトリンの概念には国際的に承認された公的な定義は存在しない」と述べられている(Harshall, 1993: 773)。

何をもってそれがドクトリンだと判断できるのかについては、議論の余地が生じる場合が多い。一般にドクトリンは教育訓練を通じて軍隊に普及させるため、公的な承認を受けた教範、あるいはそれに準じる公文書に記載された内容で判断される場合が多い。しかし、ドクトリンの歴史を見ると、公然と批判を加えられる場合も少なくない。そのため、ドクトリンは必ずしも制度的なものではなく、状況の変化、研究の進展、現場の応用などを通じて、絶えず修正される性質のものだと考える必要がある。

この分野で古典的研究であるバリー・ポーゼン(Barry Posen)の著作『軍事ドクトリンの源泉(The Sources of Military Doctrine)』(1983)においては、「わたしは『軍事ドクトリン』という用語を、明示的に軍事的手段を使用する大戦略の構成要素を指すものとして用いる」と定義されており、軍事ドクトリンの内容を分析する場合に重要な問題は、(1)どのような軍事的手段が使われようとしているのか、(2)その軍事的手段がどのような方法で使われようとしているのか、という2点であると述べられている(Posen 1984: 13)。

歴史的なドクトリンの事例として挙げられるのは、第一次世界大戦においてフランス陸軍が採用した「徹底的攻勢(l'offense à l'outrance)」である(Ibid.: 14)。これは損害が続出したとしても、戦闘力の限界まで攻勢の姿勢を崩さないという極めて攻撃的なドクトリンであり、陸軍大学校で教鞭をとっていたフォッシュの研究によって権威づけられたが、第一次世界大戦の西部戦線でフランス陸軍の戦闘力を短期間に消耗させる一因になった(Ibid.)。

成功した歴史上のドクトリンとして知られているのは第二次世界大戦におけるドイツ陸軍の電撃戦(Blitzkrieg)である(Ibid.)。名称は後から評論家によって与えられたものだが、グデーリアンが普及に取り組んだドクトリンと考えられており、機甲戦力の機動展開を通じて敵の防衛線を縦深突破する点に特徴がある。第二次世界大戦においてドイツが短期間に領域を拡大できたのは、このドクトリンによるところが小さくない。

関連リンク

参考文献

  • Harshall, D. S. 1993. Doctrine, in Trevor N. Dupuy, ed. International Military and Defense Encyclopedia, Brassey's, Vol. 2, pp. 773-5.

  • Posen, B. R. 1984. The Sources of Military Doctrine: France, Britain, and Germany between the World Wars, Cornell University Press.