フォッシュ

フォッシュ

フェルディナン・フォッシュ(Ferdinant Foch, 1851年10月2日 - 1929年3月20日)はフランスの陸軍軍人であり、歴史的には第一次世界大戦では連合軍総司令官だったことで知られている。

経歴

ピレネー山脈に近いタルブの出身。官吏の家に生まれ、初等教育を経て1870年に普仏戦争に従軍したが、実際に戦闘に参加することはなかった。戦後も陸軍に留まることを決め、1871年に技術士官を要請するエコール・ポリテクニークに入学した。1873年に少尉任官を果たし、配属はタルブの第24砲兵連隊に決まった。さまざまな部隊での勤務を経て1885年に陸軍大学校で学んだ。やがて、参謀本部での勤務についたが、1894年には陸軍大学校に教官として配属され、軍事教育に従事するようになった。1913年にナンシーで第20軍団の司令官に就任し、1914年の第一次世界大戦を迎えた。

開戦した当初、フォッシュは第20軍団の指揮をとっていたが、間もなく新設された第9軍の司令官に抜擢され、マルヌの戦いに参加した。やがて北部軍司令官に任命されたが、ソンムでの敗北の責任を問われて解任された。しかし、戦局が悪化した1917年に参謀総長に任命され、1918年には連合軍総司令官に就任した。この年に実施されたドイツ軍の攻勢に対処し、反攻に転じる作戦を遂行した。休戦が成立した後には戦後処理を指導した。パリにて死去。

思想

19世紀後半の軍事学者の間で論点とされていたのは、武器の射程、威力、精度が向上していることだった。つまり、火力の優劣が戦闘の勝敗をますます左右するようになっている状況で、陸軍はいかに攻撃を成功させることができるかが問われていた。この論点に対してフォッシュは砲兵による制圧射撃と歩兵による銃剣突撃を組み合わせることが重要だと主張し、究極的には各人の格闘を通じて戦闘に勝利することができると考えた。

また、フォッシュは戦争の原則として戦力節約の原則、行動自由の原則、戦力自由利用の原則、そして警戒の原則を掲げており、特に敵の弱点に我の戦力を集ちゅうするためには、特に攻撃精神を重視し、主動的地位を確保することで行動の自由を失わないことが肝要だと論じた。フォッシュの名前が第一次世界大戦で広く知られるようになったため、フォッシュの説は軍事学者の注目を集めたが、現在では問題点が少なくなかったことが指摘されている(メモ 技術が戦闘過程に与える影響を適切に分析することの重要性)。

業績