「戦いの原則」の研究史を知りたい人が読むべき『勝利への探求』の文献紹介

「戦いの原則」の研究史を知りたい人が読むべき『勝利への探求』の文献紹介

2020年11月12日

戦いの原則(principles of war)とは、戦争において軍隊が任務を遂行するために順守すべきであると考えられている基本原則です。軍事学で古くから調査研究が行われており(例えば、ウェゲティウスの戦いの原則については過去の記事を参照)、時代や地域によって違いがあるものの、現代の文献ではおおむねイギリスの陸軍軍人だったジョン・フレデリック・チャールズ・フラーの学説に依拠したバージョンがよく知られています。

今回は、この戦いの原則に関する研究史を包括的に調査した米陸軍軍人ジョン・アルジャー(John I. Alger)の著作『勝利への探求(The Quest for Victory)』(1982)を紹介します。1980年代の研究であるにもかかわらず、最近の研究でも参照されている重要な業績です。

『勝利への探求』はどのような著作なのか

軍事学の歴史では、あらゆる状況に適用が可能な戦いの原則を見つけることが研究の目標とされてきました。アルジャーは主に近代以降の軍事思想の発展を辿りながら、戦いの原則がどのように変化してきたのか、あるいは、どこまで時の試練に耐えてきたのかを『勝利への探求』の中で検討しています。

この著作は8章で構成されています。第1章「ナポレオン時代より前の主要原則」では、古代から近世までの軍事思想史に見いだされる戦いの原則の特徴が検討されています。その中で注目されているのがニッコロ・マキアヴェリの著作『戦争術』の影響です。このマキアヴェリの研究は、ギリシア・ローマの古典に見いだされる原理原則を抽出し、それを当時の軍事情勢に適用しようとする点に特徴がありました。マキアヴェリが提唱した原則の内容は必ずしも普遍的なものではありませんでしたが、彼が提案した方法は、近代的な軍事思想の発展を促すものとして有意義であったとアルジャーは評価しています。

第2章の「ナポレオンと近代軍事思想の誕生」では、この原理原則を探求する姿勢がさらに徹底されたナポレオン戦争以降の軍事思想史が取り上げられています。この時代の軍事学の歴史に名を残したフランス陸軍の軍人アントワーヌ・アンリ・ジョミニは著作『戦争術概論』の中で戦争における軍隊の運用には常に順守すべき原則があると主張し、それを四つの「科学的」な原則として要約しました。その主な特徴は敵の兵力を分散させた上で、決勝点に対しは味方の兵力を集中するというものであり、フランス皇帝ナポレオン一世の戦略・戦術の考え方が強く反映されていました。これらの原則は現代の研究者の立場から見て一般化できないものであると考えられているのですが、ジョミニの原則の立て方はその後の軍事学の研究に受け継がれていきました(現代軍事学で見れば、孫子の兵法にも問題はある )。

第3章の「アメリカ南北戦争と軍事思想の形成」は、ジョミニの影響が19世紀を通じて大きな影響を及ぼしたことが詳細に調べられています。ジョミニの学説を取り入れた著作が次々と登場していたことがアルジャーの調査で明らかにされています。同時にアルジャーの研究では、ジョミニが提唱した科学的な原則の存在を否定する人物もいたことも取り上げられています。その代表的な論者がプロイセン陸軍の軍人だったヘルムート・フォン・モルトケでした。モルトケは当時、ドイツでも影響力を拡大していたジョミニの学説を否定しましたが、それは彼がカール・フォン・クラウゼヴィッツのように、戦争のように不確実な状況で一般的に妥当する軍事行動の原則を作ることは不可能であると考えていたためでした。

第4章「大陸の思想に対するイギリスとアメリカの反応」はヨーロッパ大陸で議論が続けられていた戦いの原則に関するイギリスとアメリカの反応について論じた章です。アルジャーはここでフランスでジョミニが発展させた戦いの原則がイギリスに導入されていたことを指摘した上で、その内容には次第に疑問の目も向けられるようになった経緯を紹介しています。19世紀の前半にフランスの軍事学は高い評価を受けていましたが、普仏戦争でフランスがプロイセンに敗北したことを受けて、プロイセンの軍事学が注目されるようになりました。当時、プロイセンの軍人だったコルマール・フォン・デア・ゴルツの著作は英語圏に翻訳されると、軍隊の学校で教材として使われるようになっています。しかし、それでもジョミニの影響は健在であり、アメリカ海軍軍人だったアルフレッド・セイヤー・マハンはジョミニの戦いの原則に依拠しながら海軍戦略の研究を推し進めています。

第5章の「総力戦における軍事原則」では、上述したさまざまな学説の意義と限界が第一次世界大戦の実戦を通じて検証された経緯が述べられています。この頃までの議論を通じて、戦争においては一般的に適用が可能な戦いの原則が存在していること、それが時代や地域を超えて普遍的なものであるという認識が軍事学において共有されており、また各国の軍隊では教範の中で定式化されていました。しかし、第一次世界大戦は19世紀までの戦争とまったく異次元のスケールで遂行された戦争であり、戦いの原則の内容について抜本的な見直しを行う必要性が認識されました。

この時期に注目されるようになったのが、ジョン・フレデリック・チャールズ・フラーが提唱した新しい戦いの原則であり、その特徴は第6章「定式と対立」の中で詳細に論じられています。フラーは目標の保持、攻撃的な行動、奇襲、集中、兵力の経済的使用、警戒、機動、協調という8種類の原則を組み合わせることで、新しい戦いの原則を定式化しました。この研究成果が初めて発表されたのは第一次世界大戦が継続していた1916年でしたが、フラーの説に対して陸軍の内部では疑念を持つ者もいたことをアルジャーは指摘しています。1920年にイギリス陸軍は初めてこの戦いの原則を公式に承認しましたが、フラーはその後も自らの戦いの原則の適用範囲について補足の説明を加えています。

第7章「原則の改定と教義の論争」では、フラーの原則が各国の軍隊の教範に普及した経過をたどっています。アルジャーはこの過程で各国の教義をめぐる論争からどのような影響を受けたのか、どのように修正されたのかを検討しており、現代の戦いの原則が強い一貫性を持っているものの、多様性が現れる理由を考察しています。

最後の第8章「過去を通じて将来の戦争を見る」でアルジャーは戦いの原則をめぐる過去の議論を踏まえ、今後の研究の方向について考察しました。第一次世界大戦は戦いの原則を見直させただけでなく、各国陸軍のドクトリンの基礎をなすものであるべきとの思想を普及させました。少なくとも19世紀後半以降の科学技術の急激な変化にも耐えうる原理原則を確立することが急務とされたのです。フラーの研究は時代の要請に答えるものであったとして高く評価されています。

アルジャーの著作は軍事学の歴史において戦いの原則が重要なテーマとして浮上し、論争が展開していく様子を理解する上で、欠かすことができない文献になっています。英語の文献だけでなく、独語、仏語の文献も参照しながら、西欧における軍事思想史の展開をバランスよく論述しており、巻末の参考資料も有益です。

むすびにかえて

アルジャーの議論を引き継ぐ研究として注目されるのはイスラエルの歴史学者アザー・ガット(Azar Gat)の『軍事思想の歴史:啓蒙時代から冷戦まで(A History of Military Thought: From the Enlightenment to the Cold War)』(2001)があります。これは西欧において軍事思想が発展を遂げる歴史を描き出した研究成果であり、戦いの原則をめぐる議論に関する考察が含まれており、学界で高い評価を受けています。また『戦いの原則を再考する(Rethinking the Principles of War)』(2005)は、多くの著名な研究者が戦いの原則に関する論文を寄せた論集であり、2000年代の研究動向を知ることができます。

日本では戦いの原則が米軍の教範を通じて導入されており、現在の陸上自衛隊の教範『野外令』にも記述されています。『野外令』は一般に販売されていませんが、『野外令』の戦いの原則の解説については『陸自教範『野外令』が教える戦場の方程式 戦いには守るべき基本と原則がある』(光人社、2011年)などでも読むことができます。