キッシンジャー

キッシンジャー

ヘンリー・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger、1923年5月27日 - 現在)はアメリカの政治家、コンサルタントである。国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官も務めた。軍事学においては核戦略の研究で知られている。

経歴

ドイツのフュルトで高校教員ルイス・キッシンガーの家に生まれた。1933年にヒトラー政権が発足し、反ユダヤ主義的政策が強化されたことを受け、1938年に迫害を逃れてアメリカに家族で移住した。生活は苦しく、ジョージ・ワシントン高校の夜学で学び、昼間は工場で勤務した。高校を卒業するとニューヨーク市立大学に学生として通い始めたが、1943年に学業を中断し、アメリカ陸軍に入隊した。この時期に帰化しており、名前もハインツからヘンリーに改名した。

陸軍での階級は下士官だったが、ドイツ語の能力が評価され、戦略諜報局に配属された。1945年までヨーロッパ戦線で従軍し、戦後のドイツにも駐留し、戦争犯罪人の裁判にもかかわった。1946年にアメリカに帰国すると、陸軍を退いてハーバード大学に入学した。当初は哲学を専攻し、特に歴史哲学を研究していた。やがて関心は外交史に移り、エリオット・ヤンデルに師事して博士号を取得した。なお、1949年にアン・フライシャーと結婚している。

1954年からハーバード大学の政治学部で教えていたが、外交問題評議会(Council of Foreign Relations)にかかわり、政界に進出するための人脈を築くようになった。1957年に『核兵器と外交政策』を出版すると、キッシンジャーは核戦略の研究領域で注目を集めた。この頃までに妻アンは別居状態になり、1964年に離婚が成立した。1968年に共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めたが、ロックフェラーは大統領候補に指名されなかった。しかし、リチャード・ニクソンの誘いを受け、1969年に同政権の国家安全保障問題担当の大統領補佐官に就任し、ニクソン政権の外交政策を主導し、特にベトナム戦争の和平を推進した。

1973年に国務長官を兼務することが決まり、またベトナム戦争で和平交渉をまとめた功績でノーベル平和賞を受賞した。また、この年にロックフェラーの秘書だったナンシー・マギネスと再婚した。1974年にジェラルド・フォード政権が発足してからは国務長官の任務に専念し、米ソのデタントを推進した。1977年にフォード政権が退陣すると、ジョージタウン大学の国際問題研究所に招かれ、在職中の回顧録を発表するなど、著述に力を入れるようになった。1982年にコンサルタント会社キッシンジャー・アソシエーツを設立し、現在も講演や著述などの活動を展開しながら、アメリカを含め各国の指導層との交流を続けている。

思想

キッシンジャーの研究は、1953年にアイゼンハワー政権が最初に打ち出した核戦略、いわゆる大量報復に対する批判として位置づけることができる。大量報復とは、核爆弾を投下できる戦略爆撃機によってソ連軍に対する反撃能力を確保する戦略であり、通常戦力の規模を最小限にとどめ、国防予算の削減を抑制することを狙った戦略構想だった。しかし、このように核戦力の使用に依存した戦略では、実際にソ連軍が西ヨーロッパに侵攻した場合には、アメリカとしても全面的な核戦争に突入せざるを得ず、戦争の規模を不必要に拡大させる必要があった。この問題を解決するためには、通常戦力を用いる小規模な戦争と核戦力を用いる全面的な核戦争だけでなく、限定的な核兵器の使用を選択肢に組み入れることが戦略的に必要になると考えた。

1957年に発表された『核兵器と外交政策』は、この限定核戦争の思想を示したものである。この著作でキッシンジャーは、核時代において優勢な戦闘力の集中を唱えるだけの戦略理論は不十分であり、政治的目標を達成する上で、どのように武力を選択的に行使するかが重要な問題になった。戦争状態であっても敵国の全土を無制限に攻撃するのではなく、一部の領土を「聖域」として認め、あえて攻撃目標から外しておく。こうしておけば、我に対する敵の攻撃も一定の範囲に局限させることが可能になる。これが全面戦争を回避し、限定戦争を遂行するための大前提であり、戦略の目標は敵の撃破ではなく、敵の意志に影響を及ぼすことに置かれる。この説には批判が多く加えられており、特にエスカレーションの管理が不可能になる恐れがあると指摘されている(限定核戦争とは? 若き日のキッシンジャーが唱えた危うい戦略構想文献紹介 限定核戦争のための戦略理論

主著

軍事学の立場からキッシンジャーの研究業績で重要なものは核戦略の研究に関するものである。『核兵器と外交政策』(1957)がこれに当たり、やや古くなっているため入手しにくいが、日本外政学会の訳書に当たることを推奨する。なお、19世紀の外交史を扱った『回復された世界平和』(1957)、自身が携わった外交政策について語った『キッシンジャー秘録』(1979)は外交史に関する文献であるが、キッシンジャーの政治思想や政策実績を知る上で重要である。

  • Kissinger, H. 1957. A World Restored: Metternich, Castlereagh and the Problems of Peace, 1812-22. Weidenfeld & Nicolson.(邦訳、伊藤幸雄訳『回復された世界平和』原書房、1976年、新装版2009年)

  • Kissinger, H. 1957. Nuclear Weapons and Foreign Policy. Harper & Brothers.(邦訳、田中武克・桃井真訳『核兵器と外交政策』日本外政学会、1958年/森田隆光訳『核兵器と外交政策』抄訳版、駿河台出版社、1988年)

  • Kissinger, H. 1979. White House Years. Little, Brown.(邦訳、斎藤彌三郎ほか訳『キッシンジャー秘録(1-5)』小学館、1979-1980年)