ハレック

ハレック

ヘンリー・ワグナー・ハレック(Henry Wagner Halleck, 1815年1月16日 - 1872年1月9日)はアメリカの陸軍軍人である。

ニューヨーク州出身。農家の家庭で生まれ育ったが、農業を嫌い、家出して叔父のデイヴィッド・ウェイガーの家で育てられた。陸軍士官学校でデニス・ハート・マハンに見出され、卒業後に兵科は工兵科になり、陸軍中央の工兵局に勤務し、海岸防衛の問題に関する調査に従事した。1844年にヨーロッパに視察する機会を得て、フランス軍の調査を行い、ボストンのローウェル・インスティチュートで12回の講義を担当し、その成果をもとにして1846年に『戦争の技術と科学の入門(Elements of Military Art and Science)』を出版した。同年に勃発したアメリカ・メキシコ戦争では、カリフォルニアで要塞の建設に参加し、1847年のマサトランで初めて戦闘に参加している。カリフォルニア準州の軍事長官に任命されるなど、政務に携わるようになり、また自身の事業も大きな成功を収めた。その後、カリフォルニアの実業家として有名になり、1854年に現役を退いている。しかし、1861年に南北戦争が勃発すると、陸軍中央で推薦されたハレックは現役に復帰することになり、ミズーリ方面軍司令官に任命された。軍人としてのハレックは非常に用意周到な軍司令官であり、味方が優勢でなければ進軍しようとはしない慎重な作戦指導を見せた。エイブラハム・リンカーン大統領は1862年7月にハレックを全軍の総司令官に任命したが、その慎重を期する性格から積極的な作戦を実施しないとリンカーンに批判されている。1864年3月にユリシーズ・グラントが総司令官に任命されると、ハレックは参謀総長に任命され、グラントの作戦指導を管理行政の面から支えた。戦争が終わると、1865年にカリフォルニアで師団長になり、1869年にケンタッキー州で師団長に着任した。ケンタッキー州ルイビルにて死去。

  • H. W. Halleck, Elements of Military Art and Science or Course of Instruction in Strategy, Fortification, Tactics of Battles, D. Appleton & Company, 1862.