ド・ブイユ

ド・ブイユ

ジャン・ド・ブイユ(Jean V de Bueil, 1406? - 1478年7月7日)はフランスの陸軍軍人であり、百年戦争で従軍した経験を記録として書き残した。

ド・ブイユはフランスとイングランドが争う百年戦争の最中に騎士の家系に生まれ、父は1415年のアジャンクールの戦いにおいて戦死した。1422年に軍隊に加わり、1424年にはヴェルヌイユの戦いで初陣を飾った。当時まだ若かったが、優れた能力が認められ、1429年にジャンヌ・ダルクの旗の下でオルレアンの攻囲に加わり、その後も百年戦争でイングランド軍を相手に戦った。シャルル七世の王権を強化することを図ったアルテュール・ド・リッシュモンの中央集権的な軍制改革に反対する勢力がプラグリーの乱(1440)が勃発した際には、ド・ブイユも反乱軍の鎮圧に当たっており、和平の成立と1445年の国王が直轄する常備軍の創設に貢献した。その後もノルマンディー侵攻に参加して軍功を重ねたが、1456年にそれまで仕えてきたシャルル七世が死去した。その後継者であるルイ十一世は先代に仕えた軍人を冷遇する政策をとったため、ド・ブイユは不満を募らせた末に1465年に起きた反乱に加わった。1469年にルイ十一世が反乱軍と和解すると地位を取り戻した。

1466年の前後には自伝的著作『若人(Le Jouvencel)』を執筆しているが、これは中世後期に書かれた代表的な軍事文献の一つであり、ド・ブイユ自身の生い立ちを描き出すことを通じて戦争術について説明している。この著作は19世紀に再び注釈を加えて再版された。