ハムレー

ハムレー

エドワード・ハムレー(Edward Bruce Hamley 1824年 - 1893年)はイギリスの陸軍軍人であり、19世紀のイギリス陸軍で大きな影響力を持っていた研究者でもあり、主著に『作戦論』があった。

コーンウォールの出身であり、軍人の家に生まれた。1843年に陸軍士官学校を卒業し、砲兵科の道に進んだ。最初に赴任した地はアイルランドであり、次にカナダのケベックで部隊勤務の経験を積んだ。カナダから帰国してしばらく本国で勤務していたが、1851年にジブラルタルへ派遣され、その頃から著述を副業にし始めた。1853年にクリミア戦争が勃発すると、砲兵隊の一員として従軍したが、その見聞を記事にして雑誌に投稿すると、世間の注目を集めた。クリミア戦争では陸軍に対するマスコミの批判が高まっていたため、ハムレーはそれに対抗する立場をとっていた。クリミア戦争で師団長として従軍していた王族によって見出され、1857年の参謀大学校の設立の際には戦史教官に推薦された。

1859年に戦史教官に就いたハムレーは6年間の講義を通じて研究を重ねた成果を1862年に『作戦論(The Operations of War)』を出版した。これは戦いの原則を基礎に置きながら、過去の戦例がその原則によってどのように説明できるのかを論じたものであり、教科書として書かれたものだった。この著作は商業的にも成功し、イギリス陸軍で広く教材として受け入れられただけでなく、アメリカ陸軍でも陸軍士官学校で教科書として読まれた。ハムレーの名声は、1870年に参謀大学校の校長に就任した時に絶頂に達したが、1877年に校長を退任した。その後、バルカン半島の紛争を処理する外交的任務に就き、1882年には師団長としてエジプトに派遣された。この際に上官であるウーズレー(Garnet Wolseley)と対立を引き起こしており、ハムレーは自らの功績が正当な評価を受けていないと主張した。1885年に政治の世界に転身して下院議員の議席を得た。議会では国防問題について取り上げている。ロンドンで死去。

最もよく知られた著作の『作戦論』は1862年に刊行されているが、その後に何度も改定が重ねられており、そのたびに内容が加筆修正されている。ここでは最後に再版された1923年版を示しておく。

  • Hamley, Edward Bruce. 1923. The Operations of War, Edinburgh: Blackwood.