クセノポン

クセノポン

クセノポン(Xenophon, 紀元前430年?-355年以降)は古代ギリシアの著述家、歴史家。軍事学の分野では自身の戦争経験を記した『アナバシス』、古代ギリシアの騎兵戦術を論じた『騎兵隊長』などの著者として知られている。

経歴

前430年頃にアテナイの有力な市民であるグリュロスの家に生まれた。幼少期、青年期にどのような教育を受けたのかは不明だが、スパルタとのペロポネソス戦争においてアテナイ軍の騎兵将校として従軍したこと、ソクラテスの哲学に影響を受けたことなどが推測されている。アテナイが戦争で敗れてからは、ギリシア人の傭兵の一人としてアジアに渡り、ペルシアで小キュロスが指導する反乱軍に加わった。しかし、401年に小キュロスの反乱が挫折し、メソポタミアで孤立すると、他のギリシア人の傭兵に指揮官に推挙され、5カ月近くにわたってティグリス川沿いに部隊の退却を指揮した。

前399年、軍人としてトラキアに仕え始めるが、間もなくペルシアと戦争状態にあったスパルタに仕官することにした。敵であるスパルタに通じたことで、アテナイでは追放令が出され、市民権を剥脱された。しかし、戦争を通じて獲得した人質によって一定の財産を築くことに成功している。フィレシアという女性と結婚し、グリュロス、ディオドロスという二人の息子が生まれた。前396年にスパルタの国王であるアゲシラオスに謁見し、前394年に彼がギリシアに戻るとスパルタの近くの土地が与えられることになった。しばらくその地で暮らしていたが、紀元前371年にスパルタの勢力は弱体化し、領地も敵に奪われた。

住処を失ったクセノポンは一時的にコリントで暮らしていたようだが、前369年にスパルタと同盟を結んだアテナイが追放を解除した。詳細な経緯や時期は明らかではないが、前365年頃にアテナイに戻ったと推定される。その後どのような人生を歩んだのかははっきりしないが、息子の一人グリュロスはアテナイ人として兵役の義務に服し、前362年に戦死したことは確認されている。

著作

クセノポンの主著は『アナバシス 』であり、これはメソポタミアで指揮をとった退却戦を自身の体験に基づいて記している。指揮官としてのクセノフォンが駆使した技術や部隊をまとめる苦労が生々しく記録されており、当時の戦争の実態を知る上で貴重な資料であり、 松平千秋訳などが出されている。戦術の方面で残した著作としては『騎兵隊長』がある。これは当時のアテナイ軍における騎兵戦術を初歩から説明した教育資料であり、おそらく経験が浅い騎兵将校のために執筆したと思われる。こちらも翻訳が出ており、松本仁助訳の『クセノポン小品集』に収録されている。

  • クセノポン『アナバシス』松平千秋訳、岩波書店、1993年(下記の翻訳の改訂版)
  • クセノポン『アナバシス:キュロス王子の反乱・ギリシア兵一万の遠征』松平千秋訳、筑摩書房、1985年
  • クセノポン『クセノポン小品集』松本仁助訳、京都大学学術出版会、2002年