フィスク

フィスク

ブラッドレー・アレン・フィスク(Bradley Allen Fiske, 1854年6月13日 - 1942年4月6日)はアメリカの海軍軍人である。アメリカで海軍の重要性を説き、近代化に尽力した功労者として評価されている。

経歴

ニューヨーク州ウェイン群リヨン出身。1870年にアナポリスの海軍兵学校に入学した。海軍では艦艇勤務の他に、艦艇や武器の設計、開発などにも携わった。米西戦争では砲艦USSペトレルの乗組で1898年5月1日のマニラ湾海戦に参加した。その後、USSアーカンソー、巡洋艦USSミネアポリス、巡洋艦USSテネシーの艦長の艦長を歴任した。海軍大学校で学び、1911年には海軍会議(U.S. Navy General Board)のメンバーにも選ばれ、1913年にはアメリカ海軍の士官として最高位に当たる海軍作戦部長に着任した。1916年に海軍を退き、その後はアメリカ海軍協会(United States Naval Institute, USNI)で会長を務めた。ニューヨーク州にて死去。

著作

多数の著作を残したが、退役した年に海軍の意義を啓蒙する目的で出版した『戦う機械としての海軍(The Navy as a Fighting Machine)』(1916)が有名である。