マッキンダー

マッキンダー

ハルフォード・マッキンダー(Halford John Mackinder, 1861年2月15日 - 1947年3月6日)はイギリスの地理学者、政治家。政治地理学においてユーラシア大陸の内陸部に当たる地域をハートランドと呼称し、その重要性を主張したことで知られる。マハンのシーパワーの議論を踏まえて、ランドパワーという概念を使い始めたことも評価されている。

経歴

1861年2月15日、イングランドのリンカンシャーで医者の家に生まれた。地元のグラマー・スクールを卒業した後はエプサム・カレッジで医学に触れるが、オックスフォード大学の奨学生になって専攻を生物学に変え、さらに関心は地理学、特に地質学に移った。1887年から地理学の公開講座を受け持ち、各地を巡りながら講演を行った。地理学の講師を経て1899年にオックスフォード地理学院の初代院長に就任し、その後30年近く在職した。1904年に王立地理学協会で「歴史の地理学的な回転軸」と題する講演を行い、そこでハートランドの概念を提唱するなど、当時の政治地理学の論争に参加した。

政治家としての顔も持っており、1910年に下院で当選してから1922年まで議席を保持した。第一次世界大戦でロシア革命に強い関心を寄せ、イギリスの高等弁務官としてオデッサに駐在し、白ロシア軍の支援も行っているが、これは成果を上げなかった。1926年に枢密顧問官に就任し、また1920年から1945年にかけて船舶統制委員会の議長を務めた。1947年3月6日、自宅で死去。

思想

軍事学におけるマッキンダーの貢献は、全世界を視野に入れて各国の位置関係を分析する方法を示し、その後の政治地理学・地政学の基礎を築いたことである。世界で最も広大な大陸であるユーラシア大陸を世界島、その内陸部をハートランドと命名した。ハートランドは人口が希薄な地域であるものの、歴史的にこの地域を支配してきた勢力は、大陸の中央部に陣取る優位を利用してきたが歴史がある。この世界史の経験を踏まえた上で、マッキンダーは次のように論じた。

「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」(マッキンダー、177頁)

マッキンダーがこの原則を唱えた背景には、ドイツ、オーストリアとロシアが東ヨーロッパ、特にセルビアをめぐって対立したことが第一次世界大戦の要因になったという認識もあったと考えられる。戦争が勃発した当初、ドイツ軍も西部戦線でフランス軍やイギリス軍などに対して攻勢をとっていたが、やがて東部戦線におけるロシア軍への攻勢が重視された。マッキンダーは、ドイツがこれほどまでに東ヨーロッパ方面における勢力の拡大を重視する理由として、東ヨーロッパがハートランドに進攻するための経路になっていることを指摘しており、この地域が国際政治において重要な意味を持つことを主張した。

この議論と関連して、東ヨーロッパにおいてドイツとロシアの勢力を拮抗させることがイギリスの国益に適うことだと主張したことでも知られており、どちらか一方がその地域の支配を確立してしまえば、それはハートランドを支配するランドパワーとして振る舞い、海上交通路を支配しようとするシーパワーにとって重大な脅威になる可能性も示唆されていた(論文紹介 世界史におけるランドパワーとシーパワー)。また、シーパワーでなくても、その海域を取り巻く陸地を支配することによって、海上の支配を確立する可能性を指摘したこともある(学説紹介 大艦隊がなくても海洋は支配できる―地中海を閉鎖したローマの戦略―)。マッキンダーの研究は、やがてハートランドの意義の見直し、さらに航空機、ミサイル、そして核兵器の飛躍的な発達などの影響もあって、その妥当性を見直されることになったが(文献紹介 ハートランドの支配ではなく、リムランドの支配を重視せよ)、近年の議論でもハートランドの概念やランドパワーの考察は影響を及ぼしている(例えば、学説紹介 21世紀のドイツの国家戦略―ブレジンスキーの地政学的考察とトッドの批判―)。

主著

政治地理学・地政学に関するマッキンダーの著作で最も重要な『デモクラシーの理想と現実』は日本語で読むことができる。

  • Mackinder, Halford J. 1962(1919). Democratic Ideals and Reality. New York: Norton.(邦訳、マッキンダー『マッキンダーの地政学:デモクラシーの理想と現実』曽村保信訳、原書房、2008年)