ロイド

ロイド

ヘンリー・ロイド(Henry Humphrey Evans Lloyd, 1720年? - 1783年?)はイギリスの陸軍軍人、軍事学者である。軍事学史においては作戦線の概念を導入して戦略を分析する方法を提案したことで知られている。

経歴

ウェールズ北部のバハン出身。ロイドの出身、家系、経歴については不可解な点が多く、情報源も少ない。1688年にイギリスで起きた名誉革命に反発するジャコバイト運動に関与していたと見られており、1744年にフランス陸軍への入隊を試みたが失敗したようである。しかし、1745年にジャコバイトが蜂起を起こした際には、その組織に加わって間者として活動しており、ウェールズのジャコバイト支持者の元へ派遣されている。その後、イングランドの偵察も行ったが、1746年に逮捕され、ロンドンに連行されるという致命的な失敗を犯したとされているが、それにもかかわらず、命は奪われていない。

さらに奇妙なことは、1748年にプロイセン陸軍に潜入して勤務を始めていることである。その経緯はよく分かっていない。北アメリカ大陸でフレンチ・インディアン戦争が勃発した1754年にフランスに戻り、再びイングランドの偵察に派遣されているが、これは当時のフランスが計画していたイギリスへの本土侵攻の準備だったと考えられる。次に七年戦争(1756 - 1763)でプロイセンと争ったオーストリアに渡り、そこでも陸軍に入隊している。1757年から軽歩兵部隊の指揮官として勤務し、プロイセンの偵察任務に従事した。七年戦争が終ってからロイドは著述家として七年戦争の軍事史を記し、『プロイセン王とドイツ女帝との最近の戦争の歴史(The History of the late war in Germany between the King of Prussia and the Empress of Germany and her Allies)』(1766)と題して出版した。

この著作はプロイセン陸軍の軍人ゲオルグ・フリードリヒ・テンペルホフによって翻訳、批評されたことから世界的に注目されるようになった。その後、ロイドはイギリスの工作員になり、1768年にコルシカ島に潜入し、現地の独立運動を支援する政治工作に従事した。1773年にロシア陸軍へ移り、露土戦争においてロシア軍の作戦計画の立案に協力している。1779年には『大英帝国の防衛に関する政治的・軍事的叙事詩(Political and Military Rhapsody on the Defence of Great Britain) 』を出版した。オランダのハーグで死去。

著作

ロイドは戦争術における最も重要な要素は、その計画や実行においてその戦地の地理的特性を踏まえることであると指摘しており、特に作戦線(line of operation)によって作戦を体系的に遂行することが戦略の原則として重要だと主張した。この主張は多くの軍事学者の注目を集めることになり、影響を受けた軍事学者の中にはアントワーヌ・アンリ・ジョミニもいる。

ロイドの主著である『プロイセン王とドイツ女帝との最近の戦争の歴史(The History of the late war in Germany between the King of Prussia and the Empress of Germany and her Allies)』(1766)には改訂版の他に翻訳も多く出版されているため参照の際には注意が櫃世杖ある。1781年の改訂版には新たに序章が追加されおり、ロイドの軍事思想を知るためにはこの改訂版を参照することが望ましい。

  • Lloyd, H. 1781. The History of the late war in Germany between the King of Prussia and the Empress of Germany and her Allies, London.