ナポレオンの戦争術を読み解く『ナポレオン戦争(The Campaigns of Napoleon)』を紹介する

ナポレオンの戦争術を読み解く『ナポレオン戦争(The Campaigns of Napoleon)』を紹介する

2020年7月22日

ナポレオン戦争の歴史に関する著作は数多くありますが、その中でも特に古典としての評価が確立された著作に歴史学者デイヴィッド・チャンドラーの著作『ナポレオン戦争(The Campaigns of Napoleon)』があります。

チャンドラーはイギリスの元陸軍軍人であり、アメリカの大学で教える前は、サンドハースト王立陸軍士官学校で軍事史を教えていたこともあります。ナポレオン戦争の研究領域で『ナポレオン戦争』は広く読まれており、初版が1973年に出ていますが、現在では2009年に改定された版で読むことができます。この最新の版ではありませんが日本語にも翻訳されています

『ナポレオン戦争』の特徴とその意義

チャンドラーの説によれば、ナポレオンの戦争術はシンプルです。その時々の状況に合わせて応用してはいますが、ナポレオンの軍隊の動かし方には軍事的観点から見て驚くほど一貫性があり、パターン化されています。これはナポレオンが一定の戦いの原則に従って戦力を運用していたことを意味しており、その原則を明らかにすることがチャンドラーの研究目標となっています。

チャンドラーの関心は厳密な意味での軍事史に向けられていますが、ナポレオンの人格を形成した家庭環境、幼少期の経験、士官学校で受けた教育訓練の内容、政治的経歴についてはしっかりと確認されています(第1部)。フランス革命の動乱の中でナポレオンは軍司令官として第一次イタリア戦役を経験することになるのですが(第2部)、この戦役でナポレオンは誰も予想しなかったような戦果を上げました。

チャンドラーはこの戦役でナポレオンが見せた戦略と戦術はその後の戦役においても繰り返し用いられるものとして注目しています。その詳細な分析が展開されているのが第3部であり、そこでチャンドラーは『ナポレオンの軍事箴言集』で示されたナポレオンの軍事思想を引用しながら、ナポレオンの戦争術の原則をモデル化して読者に示しています。チャンドラーの説によれば、ナポレオンの戦略は5個の原則によって基礎づけられていました。

  • 「第一に、軍は作戦線を少なくとも一線は保持し、その目標を明確に規定し、指向できる部隊のすべてをその目標に向かって前進させなければならない」
  • 「第二に、常に敵の主力を目標にしなければならない。敵の野戦軍を撃破することによってのみ、敵に戦争をあきらめさせることができる」
  • 「第三に、フランス軍は心理的な理由ではなく、戦略的な理由のために、敵の側面や背面に陣取るような方法で移動しなければならない」
  • 「第四に、フランス軍は常に敵のもっとも露出した側面を迂回するように努めなければならない」
  • 「第五に、ナポレオンはフランス軍の連絡線を安全に確保し続ける必要性を強調していた」(Chandler, p. 162)

ナポレオンの戦略がこれだけの原則で説明できるという主張は大胆に見えますが、チャンドラーはカスティリオーネの戦い(1796)の事例分析で、自らの分析の妥当性を検証しています。また、彼の説の妥当性は、単一の事例分析だけに依拠しているわけではありません。チャンドラーはナポレオンが指揮をとったすべての戦役を丹念に一つずつ分析することによって、自説の実証的な妥当性を細かく検証しています。1798年から1799年のエジプトとシリアの戦役(第4部)、1800年のイタリア戦役(第5部)、1805年のアウステルリッツの戦いまでの戦役(第7部)、そしてプロイセンを屈服させた1806年の戦役(第8部)などの歴史では、いずれもナポレオンの輝かしい軍事的な勝利が記録されています。

ただし、チャンドラーの狙いはナポレオンの戦争術の特徴的なパターンを明らかにすることであり、手放しで賞賛することではありません。事実、チャンドラーは著作の中でナポレオンが数多くの過ちを犯していたことを指摘しています。さらにナポレオンの手法が次第に敵に知られるようになり、時間をかけて学習されていったこともチャンドラーは明らかにしています。

初めの頃はナポレオン式の戦略や戦術に不慣れだった敵が、その効果や限界を正しく理解し始めると、ナポレオンの優位性はなくなっていきました。この著作の後半で取り扱われている戦役や戦闘の分析は、この見方を裏付けるものになっており、ナポレオンが近代以降の軍事思想に絶大な影響を及ぼしたという解釈を支持しています。ロシアへの侵攻が失敗に終わったことは、ナポレオンの没落の始まりとなりました(参考:ナポレオンのロシア遠征が失敗した理由がクラウゼヴィッツに指摘されている)。年を重ねるにつれてナポレオンの軍隊の動かし方には新規性、独創性がなくなっていたのです。

むすびにかえて

チャンドラーの著作を読み通せば、ヨーロッパでナポレオンがどのように戦ったのか理解ができると思います。そこから、さらに新しい研究成果に挑戦することを推奨します。最近、ナポレオン戦争をヨーロッパだけでなく、世界全体の情勢と関連付ける研究が進んでいるため、ナポレオンがヨーロッパ域外でどのような態勢に立たされていたのかを知ることができるようになっています

例えば、歴史学者ジェレミー・ブラック(Jeremy Black)は北アメリカの軍事情勢がヨーロッパにおけるナポレオン戦争とどのような関係にあったのかを考察しています(Black 2009)。歴史学者チャールズ・エスデール(Charles Esdaile)もフランスを中心としたナポレオン戦争の理解を見直し、国際的視点から捉え直す研究で成果を出しています(Esdaile 2009)。いずれもフランス、あるいはヨーロッパ中心の史観から距離を置いた新しいナポレオン戦争の歴史的研究です。

より包括的な世界史的観点からナポレオン戦争を解釈しようとする研究もあり、2020年にオックスフォード大学出版会から出た『ナポレオン戦争:グローバル・ヒストリー』もその成果の一部として評価できます(Mikaberidze 2020)。ナポレオン戦争が世界規模で遂行されたことを理解する上で参考になります。このような著作を学べば、ナポレオンの戦略に対する評価が変わるはずです。ヨーロッパにおいて軍事的名声を博したナポレオンですが、ヨーロッパ域外における戦争では常に劣勢に立たされていたことが明らかになるためです。