ピュイセギュール

ピュイセギュール

ジャック・ド・ピュイセギュール(Jacques François de Chastenet de Puységur 1655年8月13日 - 1743年8月15日)はフランスの陸軍軍人である。

フランスのピュイセギュール出身。貴族の家に生まれ、1677年に軍人になった。軍歴に関しては不明な点が多いが、ルイ十四世に仕えたリュクサンブール公の兵站監を務めているため、後方支援の方面で実力を発揮していたと推測される。スペイン継承戦争ではスペインに派遣され、バルセロナ攻囲にも参加している。1735年にポーランド継承戦争の軍功が認められて元帥に昇進したが、死去した経緯はよく分からない。

主著とされる『原理原則による戦争術(Art de la guerre par principes et par regles)』は死後に出版されたものであり、1753年にドイツ語、イタリア語に翻訳され、ヨーロッパ大陸で広く読まれた。ピュイセギュールの関心は主として戦術に向けられており、当時、フランスでは火力戦闘の意義を軽視する説もあったが、ピュイセギュールはそれに反対している。小さな規模の部隊でも、火力で優勢であるならば勝利を収めることは可能であり、また白兵戦闘に移行して敵を撃滅する際にも有用だと主張した。

  • Puységur. 1749. Art de la guerre par principes et par regles. Paris.