フライターク=ローリングホーフェン

フライターク=ローリングホーフェン

フーゴ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Hugo Friedrich Philipp Johann Freiherr von Freytag-Loringhoven, 1855年5月20日 - 1924年10月19日) はドイツの陸軍軍人。

経歴

デンマークのコペンハーゲン出身。外交官のカール・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(1811-1882)の息子として生まれる。軍連に関して不明な点が多く、ロシア軍に数年在籍したことが分かっているが、詳細は不明である。1878年にドイツ陸軍に移っており、その能力が認められ、1887年から1896年までベルリンの陸軍士官学校で軍事史の教官を務めるまでになった。1907年から1910年まで第12擲弾兵連隊の連隊長を、1910年から1913年までは参謀本部兵站部長を、1913年から1914年まで第22師団の師団長を務めた。1914年に第一次世界大戦が勃発すると参謀本部に配置された。1916年に第17予備師団の師団長に任命されたが、同年に参謀次長を務めていたヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケが急死したことを受けて参謀本部に戻され、終戦まで兵站総監として勤務した。終戦後は多くの著作を残している。

著作

最も代表的な著作は『戦争における人格の力(Die Macht der Persönlichkeit im Kriege)』(1905)である。この著作ではクラウゼヴィッツの軍事的天才という概念に独自の解釈を加えた学説が展開されているが、その内容には批判がある。フライターク=ローリングホーフェンがクラウゼヴィッツの軍事理論を誤解していることは『1813年戦役及び1814年戦役に基づきクラウゼヴィッツから導き出される軍事的教訓(Kriegslehren nach Clausewitz aus den Feldzügen 1813 und 1814)』(1908)の検討でも裏付けられている。これらの著作は第一次世界大戦以前のドイツの軍事思想史において、クラウゼヴィッツがどのように理解されていたのかを浮き彫りにしている。

  • von Freytag-Lornghoven, H. 1938(1905). The Power of Personality in War, in Roots of Strategy, Book 3, Stackpole Books.

参考文献

  • Echevarria II, A. J. (1994). Neo-Clausewitzianism: Freytag-Loringhoven and the militarization of Clausewitz in German military literature before the First World War. Princeton University.