第二次世界大戦のドイツ軍と米軍の戦闘効率の違いを説明した著作『戦闘力』の紹介

第二次世界大戦のドイツ軍と米軍の戦闘効率の違いを説明した著作『戦闘力』の紹介

2020年9月2日

イスラエルのヘブライ大学教授クレフェルトの著作『戦闘力:ドイツ陸軍と米陸軍の効率1939-1945(Fighting Power: German and U.S. Army Performance, 1939-1945)』(1982)は第二次世界大戦でドイツ軍が戦闘効率で米軍よりも優位に立った要因を明らかにしようとした研究です。今回は、この著作の内容を紹介し、クレフェルトがドイツ軍の戦闘効率をどのように説明していたのかを紹介し、軍事組織と戦闘効率の関係を考えてみたいと思います。

ドイツ軍はどのように戦闘効率の優位を維持していたのか

クレフェルトは米国の研究者デュピュイの著作『戦争の天才(A Genius for War)』(1977)を参照し、第二次世界大戦におけるドイツ軍が英米両軍より優れた戦闘効率で交戦していたことが推定されることを確認しています。この原因を米独の比較検討によって明らかにすることがクレフェルトの研究の基本的な目標とされています(第1章)。

冒頭でクレフェルトは、米国との比較に基づき、ドイツ国民の文化的・民族的な気質が戦闘効率の向上に寄与していたという見解を却下しています(第2章)。また、兵士の社会的な属性でも説明することができません(第3章)。クレフェルトの研究で注目されているのは、ドイツ軍の制度的特徴であり、教義、人事、訓練、管理、司法などの面で米軍とは明らかに異なっていた点が特定されています。

当時のドイツ軍の戦闘教義を述べた『軍隊指揮』(1936)と、米軍の戦闘教義をまとめた『野戦教範100-5』(1941)の内容や構成を比較検討すると、戦闘に対する考え方に違いがあることが分かります。ドイツ軍では、軍隊の運用を一定の規則として定式化することは不可能であることを前提に置いていましたが、米軍は形式的、体系的な規則を設けて、大規模な戦術行動を調整するため、その考え方を標準化することを重視していました(第4章、p. 35)。

ドイツ軍では部隊の指揮官が与えられた任務に応じて実行の方法を自ら立案し、実施するという訓令戦術が発達していましたが、米軍ではそのような手法は導入されていませんでした。その代わりに導入されていたのは、テイラー主義的な科学的管理だったとクレフェルトは述べています(pp. 37-8)。

軍事組織の制度的な違いで戦闘効率を説明することができる

このような運用思想の違いは、米独両軍の師団司令部の構成の違いとなって現れています。ドイツ軍の師団司令部は、米軍の師団司令部に比べて規模が小さくなる傾向がありました。1939年9月、17885名からなる歩兵師団が新設されたときの司令部の幕僚の数は96名、つまり全体の0.53%でした(第6章、p. 49)。しかし1941年6月に米軍の歩兵師団を見てみると、総員15514名であるのに対し、幕僚の数は169名であり、全体の1.08%を占めていました(p. 52)。つまり、ドイツ軍の師団司令部の幕僚の比率は米軍と比べて半分程度だったことになります。

クレフェルトは、ドイツ軍と米軍の管理に対する考え方の違いをさらに詳細に検討しています。人事という観点から見ると、ドイツ軍では新兵として採用してから、初歩的な教育訓練を施し、部隊に配属するまでの評価のプロセスで、客観的な試験の客観的結果よりも、将校の主観的評価に基づく性格判定が重視されていました(p. 67)。この取り組み方は米軍において量的尺度に基づく評価によって採用、教育、配属が管理されていた米軍とは非常に対照的です(pp. 69-70)。

戦闘力を維持する方法の違いも指摘されています(第8章)。ドイツ軍では前線にいる部隊がどのくらいの期間で別の部隊と交代するのか規則として明確化していませんが、米軍は規則を設けています(pp. 89-90)。米軍でも規則を徹底することが不可能な場合はありましたが、1944年からは最低でも2度負傷し、戦傷章が授与された人員、あるいは前線で合計6か月以上を過ごした兵士は本国に送還するなど、人的損耗の予防に努めています(p. 90)。

クレフェルトの調査は給与体系にまで及んでいます。ドイツ軍の基本給は現代の軍隊と同じように階級で異なっていました。入営したばかりの新兵の年収は200マルク以下でしたが、14年勤続している下士官の年収は2064マルクにもなりました(p. 105)。士官でも階級ごとでかなり大きな違いがあり、少佐の年収だと7700マルクですが、上級大将の年収は26500マルクにもなりました(p. 105)。これを米軍の給与体系と比較すると、その格差の大きさが際立ちます。米軍の兵卒は基本給として毎月50ドルを受け取っていましたが、15年の勤続年数がある下士官の毎月の基本給は120ドル、少佐は250ドル、将官は666ドルでした(p. 106)。

この給与体系の違いを理解するためには、人事制度の違いを知る必要があります。ドイツ軍の人事制度では少尉が大尉に昇進するまでに要する勤務年数は15年であり、大尉が少佐になるまでにはさらに10年を要することが普通でした(第11章、p.141)。ほとんどの士官はその軍歴を少佐で締めくくっていたとクレフェルトは指摘しています。その上を目指すことができるのは、優れた資質があると認められた全体の3%から4%の士官であり、彼らだけが他の一般的な士官より早く昇進することができました。

しかし、第二次世界大戦の米軍はドイツ軍に比べてはるかに士官が不足しており、下級士官を上級士官に取り立てるまでの時間が著しく短縮化される傾向にありました。先ほどのドイツ軍の指標とは異なりますが、1000名当たりの士官に対して1か月に昇進する士官の人数を調査したところ、後方支援部隊で36名、工兵部隊で31名、砲兵部隊で28名、歩兵部隊で25名だったことが判明しています(pp. 145-6)。歩兵部隊の昇進が少なくなりがちだったのは、戦闘損耗が激しかったためですが、いずれにしても短期の経験で素早く昇進できていたことが分かります(p. 146)。

むすびにかえて

結論では、ドイツ軍と米軍は軍隊を運用する思想において根本的な違いがあり、それがそれぞれの軍隊の制度的な違いを生み出したことが確認されていますが、そこでドイツの軍事制度を理想的なモデルと見なすべきなのかという疑問が取り上げられています。この問いかけに対するクレフェルトの回答は非常に慎重です。

クレフェルトはドイツ軍が高い戦闘効率を達成していたことを認めています。戦闘効率を引き上げていた究極的な要因は「戦っている個々の軍人の社会的、心理的な要求を満たすようにドイツ軍が構築されていた」ことであり、作戦上の要求を満たすことができるように、教義、編制、訓練、人事などが最適化されました(p. 165)。そのため、ドイツ軍では米軍が重視した管理・兵站上の要求を後回しにする傾向があったことは否めません。

最近の調査研究では、クレフェルトが戦闘効率に影響を与えないと見なした文化的要因の効果を見直すものも出てきているため、クレフェルトの主張をそのまま受け入れるわけにはいきません。しかし、クレフェルトがこの研究で展開した戦闘効率の制度的分析は、軍隊の戦闘効率が組織のあらゆる機能と構造に関係していることへの理解を深める意義がありました。特に人事の制度が部隊の戦闘力に与える影響についてはより詳細に検討される価値があると思います。

武内和人(Twitterアカウント