オックスフォード大学出版会が選ぶ軍事学の基本文献を紹介する

オックスフォード大学出版会が選ぶ軍事学の基本文献を紹介する

2020年10月4日

オックスフォード大学出版会の「Oxford Bibliographies」は、第一線にいる研究者がそれぞれの研究領域に適した文献を案内しているサイトです。40以上の研究領域、5000以上のトピックを網羅しているだけでなく、編集委員が選抜した信頼のおける専門家が文献を選択しており、第三者の査読も行っているなど、高い信頼性を確保するために取り組んでいます。

今回は、このサイトで「軍事学(military science)」の研究領域に注目し、どのような文献が取り上げられているのかを紹介してみたいと思います。

軍事学とはどのような学問なのか

著者らによれば、軍事学(military science)は19世紀の産業革命の時代から使われている呼称であり、戦争を科学的に研究するための学問として発展してきました。ただし、戦争は科学(science)というよりも技術(art)としての性格が強いという見解も根強くあるため、著者らはこのような見解についても考慮しています。軍事学を研究する人々の関心は基本的に戦争に向けられているのですが、必ずしも国家間の戦争に限定されているわけではなく、また最近では人道的介入のような形態で軍隊が運用されることに関しても注意を払うようになっています。

「軍事学の文献では、さまざまな種類の戦争と軍事力の使用について議論されている。戦争の種類、より広い意味で述べると紛争の種類には、正規戦(conventional warfare)と対反乱戦(counterinsurgency warfare)がある。さらに最近注目されている問題として、超大国が対立していた冷戦が終結してから規模、範囲、重要性が増大してきた人道的介入での軍隊の役割についても議論している。2001年の米国同時多発テロ事件以降には、テロリズム、核兵器、化学兵器、生物兵器といった大量破壊兵器の拡散と使用に注目が集まっている」

このような研究領域の広がりが見られるものの、伝統的に軍事学の研究で中心的な位置を占めてきたのは、正規軍の運用でした。第一次世界大戦以降の軍隊の作戦はますます複雑になっており、歩兵、機甲、砲兵、工兵、航空などの部隊の諸兵科連合だけでなく、陸海空軍の運用を一体的に研究する必要が出てきています。さらに、現代の軍事情勢では特殊作戦、諜報活動、宇宙作戦、サイバー作戦も重要な研究対象になっていることが指摘されており、続々と新しい研究成果も発表されているところです。

ただ、軍隊の運用だけでなく、制度的な側面について注目する研究も重要性を増してきました。冷戦以降の軍事学の研究では、大規模化する装備の研究開発、国防予算の管理、人事制度、さらには兵站支援に関する研究も進展しています。政治的な観点から軍隊に対する政治的統制のあり方を研究することも大きな課題であり、例えば安全保障学における政軍関係論(civil-military relations)のような、政治学的、社会学的なアプローチも重要な地位を占めるようになっていることも指摘されています。

軍事学の研究領域を学ぶために選ばれている8冊を紹介する

著者らは読者に向けて軍事学を学ぶ上で重要な著作として次の8冊を選びました。今回取り上げている記事は2011年に最後の修正が加えられているため、2010年代の研究成果は取り上げられていないようです。そのため、主に2000年代までの成果を中心に取り上げているものとして御覧ください。

ブレイの『新しい米国の戦争方式(The New American Way of War)』(2008)は米国が戦争を遂行する方式をベトナム戦争やアフガニスタン紛争の経験を踏まえて批判的に検討したものです。米軍の戦略思想は非正規戦争において多くの問題があることが研究者から指摘されていますが、ここで展開されている批判的検討もその影響を受けています。Kindle版も出ているので、入手は容易です。


コリンズの『軍事戦略(Military Strategy)』(2001)は戦略学の研究成果です。特徴としては、戦時における軍隊の運用だけでなく、平時の軍備管理や即応態勢の構築の問題も取り上げていることです。教科書的な内容になっており、原理原則から始まり、具体的な状況への適応に関しても考察されています。こちらもKindle版で読むことができるようになっています。


イギリスの研究者であるコリン・グレイは戦略学の分野で高い評価を受けている研究者であり、『現代の戦略(Modern Strategy)』(1999)は彼の代表的な業績です(戦略学の権威コリン・グレイの研究業績を紹介する)。『現代の戦略』戦略理論に関する包括的な考察であり、戦略を構成する多様な要素について検討したものです。2015年に翻訳が出ているので、日本語で読むことができます。


マイケル・ハンデルの著作『戦争の達人(Masters of War)』(2001)も戦略学の分野でよく知られており、クラウゼヴィッツと孫子の思想を比較検討している点に大きな特徴があります。米軍の学校でも教科書として使われていることも多いように思います。Kindle版で読むことができるため、入手に苦労することはないと思います。


次の『軍事改革と戦略(Military Transformation and Strategy)』(2008)は「軍事における革命(Revolution in Military Affairs, RMA)」に関する研究であり、特に小規模な紛争における軍隊の運用にどのような影響を及ぼしたのかを考察しています。著者はシンガポールの南洋工科大学の准教授ですが、ハンデルやグレイなどに比べるとやや知名度で劣るかもしれませんが、2000年代の軍事における革命の研究動向を知る上で価値ある研究成果です。


エドワード・ルトワックは戦略の研究で広く知られているコンサルタント、研究者ですが、彼の名声を高めた業績が『戦略(Strategy)』(2001)です。戦略の逆説的論理(paradoxical logic)を考察した著作であり、戦略学の研究領域で必読の文献だと言えるでしょう。この著作も日本語で読むことができます。


戦略思想史を包括的に学びたいのであれば、『現代戦略思想の系譜(Makers of Modern Strategy from Machiavelli to the Nuclear Age)』(1986)を読むことを強く推奨します。おそらく、このオックスフォード大学出版会の文献案内で示された文献の中で最も重要な著作ではないかと思います。1986年の文献なので、最近の研究動向はカバーしていません。しかし、マキアヴェリ以降の戦略思想史を学ぶ人にとっては重要な文献です。古い文献であるにもかかわらず、著者らがこれを文献案内に入れたことが、その評価の高さを裏付けています。現在は入手が難しい状況になっていますが、日本語の翻訳も出ています。


さらに古い著作ですが、米国の軍事史を題材にして、戦略について解説した文献として『米国の戦争方式(The American Way of War: A History of United States Military Strategy and Policy)』(1977)も重要な成果です。著者は著名な軍事史の研究者であり、通常戦争を中心に当時の指揮官が戦略家としてどのように行動方針を決めていたのかを巧みに解説しています。ただし、この文献も古く、やや入手が困難になっているため注意が必要です。

むすびにかえて

以上がOxford Bibliographiesで「軍事学」の文献案内に掲載された文献であり、それらについて紹介してみました。

著者らの解説では、古典的な戦略思想の解説を読みたいなら、パレットらの『現代戦略思想の系譜』とハンデルの『戦争の達人』を手に入れることが推奨されています。ただ、これらは軍事学の研究史や古典的学説に興味がある人のための文献であるため、より実践的な内容を期待しているのであれば、『米国の戦争方式』を読んだ方がよいでしょう。

より最近の研究成果として位置づけることができるのはルトワックの『戦略』、グレイの『現代の戦略』、コリンズの『軍事戦略』ですが、これらの研究は戦略理論が中心となっています。2000年代以降の軍事情勢に対する理解を深めることが目的であるならば、米軍の事情や「軍事における革命」に詳しい『新しい米国の戦争方式』や『軍事改革と戦略』の方が有益となるでしょう。

全般として、このラインナップは米国の読者を念頭に置いている印象を受けると同時に、軍事学の研究領域の中でも特に戦略学、しかも戦略文化論の研究成果を強調していると思いました。戦術学や兵站学、さらには軍事史学、軍事地理学、防衛経済学、軍事社会学などに関してはまた別の文献案内が必要となると思います。

武内和人(Twitterアカウント