トンプソン

トンプソン

ロバート・トンプソンRobert Grainger Ker Thompson, 1916年4月12日 - 1992年5月16日)はイギリスの軍人、コンサルタントである

経歴

ケンブリッジ大学シドニー・サセックス・カレッジで修士号を取得し、1938年にイギリスの植民地だったマラヤに公務員候補として赴任した。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、学生時代に大学航空隊に所属していたことから空軍に召集された。最初の勤務地はマカオであり、おそらく諜報活動に従事したが、詳細は分からない。1941年に日本がイギリス、アメリカと戦争状態に入るとビルマに渡り、イギリス陸軍のオード・ウィンゲート准将が指揮をとる特殊作戦部隊チンディットに加わった。この部隊は敵地に深く潜入し、空中投下される補給品だけで後方攪乱や情報収集を行う部隊であり、トンプソンは航空隊に配属されたが、地上戦にも参加し、勲章が授与されている。

第二次世界大戦が終結し、1946年にマラヤ連合の公務員の職務に復帰したが、1948年に反体制派のマラヤ共産党が指導するマレー民族解放軍が武装闘争を開始した。1950年にイギリス軍からマレー民族解放軍の反乱を鎮圧することを命じられたハロルド・ブリッグス(Harold Rawdon Briggs)陸軍中将の幕僚となり、その勤務はブリッグスの後任となったジェラルド・テンプラー(Gerald Templer)陸軍中将の下でも続いた。この10年でトンプソンは対反乱に関する専門知識を身に着けた。1960年にマレー民族解放軍の反乱平定が完了すると、イギリスの顧問団の長として対反乱の専門家を求めていた南ベトナムに赴き、1961年から1965年まで滞在して指導にあたった。しかし、南ベトナムでの戦局を好転させることはさまざまな事情から困難だった。イギリスに帰国してからは、自らの軍事的な経験をまとめた著作『共産主義者の反乱を打倒する』を出版し、対反乱の専門家としての地位を確立した。その後もランド研究所の顧問として南ベトナムを毎年訪問しており、アメリカの戦略を批判し続け、アメリカ政府に助言を与えた。

著作