リーバー

リーバー

フランシス・リーバー(Francis Lieber, 1800年3月18日? – 1872年10月2日)はプロイセン出身の法学者、政治学者である。戦争法をまとめた「リーバー戦時法典」の著者として、またアメリカで政治学の基礎を築いた功績で知られている。

経歴

プロイセンのベルリン出身。体育学校を卒業し、プロイセン陸軍に入隊した。1815年のワーテルローの戦いに参加し、負傷している。戦後、ベルリン大学へ入学したが、1819年に政治思想が理由でベルリンを追放され、1820年にイェーナ大学で数学の学位を取得した。1821年にギリシャ独立戦争が勃発すると、義勇兵として戦争に加わったが、失意のうちにイタリアへ移った。1822年にローマに赴任していたプロイセン大使の家庭教師を務め、同時に著述業を始めたが、いったんドイツへ帰国した。その際に逮捕、投獄されたことを受けて1826年にイギリスに逃亡し、ロンドンで就職口を探した。その際に体育教師の仕事を見つけ、1827年にアメリカのボストンで体育教師として水泳を教えたが、2年後には学校を閉じた。新聞社の通信員として働きながらアメリカで百科事典を編集する仕事を始め、1829年から1833年まで4年かけてフィラデルフィアで出版した。この事業を通じてリーバーの名声を高めり、人脈も大きく広がった。

1833年にフィラデルフィアのジラード・カレッジの理事に就任し、教育計画の立案に携わっている。1835年にサウスカロライナ・カレッジの歴史学・政治経済学教授教授に就任し、20年にわたって教育と著述を行った。1856年に学長選挙で敗れたことを受けて、1858年にコロンビア大学に移り、歴史学・政治学教授に就任した。当時アメリカでは政治学教授というポストはなかったため、これはアメリカ史で最初の政治学教授と位置付けられる。1861年に南北戦争が勃発した際には北部を支持する立場をとり、アメリカ陸軍省の求めに応じて『ゲリラ部隊と戦争の法と慣習との関係(Guerrilla Parties and Their Relations to the Law and Usage of War)』(1862)、『合衆国陸軍陸戦訓令(Instructions for the Government of Armies of the United States in the Field)』(1863)を執筆した。後者の『陸戦訓令』はそれまで不明確だった戦争法を初めて法典としたことが評価され、政府により『リーバー戦時法典(Lieber's Code of War)』としてまとめられた。

著作

19世紀に各国で軍隊の指揮官が参照するための軍事法規集が出版されたが、『リーバー戦時法典』はその先駆的な例として重要である。現在のアメリカ軍で発行されている『国防総省戦争法教範( Department of Defense Law of War Manual)』(2016)においても、リーバーの研究が参照されており、戦争法を法典としてまとめ、その普及を助けた功績は大きい。

  • Liber, Francis. 1898(1863). Instructions for the Government of Armies of the United States in the Field. Government Printing Office.
  • Preston, Stephen E. and Taylor, Robert S. 2016. Department of Defense Law of War Manual, U.S. Department of Defense.