魏源

魏源

魏源(Wei Yuan, 1794年4月23日 - 1857年3月26日)は清の学者であり、中国の兵学史においては『海国图志』を著した功績で知られている。

経歴、著作

字は默深、湖南省の出身。幼い頃から学問に励み、科挙の地方試験に当たる郷試に合格し、道光帝に仕えた。職務を通じて当時の有力な政治家である林則徐と関係を築き、国政への関心を深めていった。

1840年から1842年にかけて2度にわたって勃発したアヘン戦争で軍事に対する関心を深め、14巻からなる『聖武記』(1842)を著した。これは清の軍事史をまとめた研究であり、1846年の改定によってアヘン戦争の後の清が検討すべき軍制改革、財政再建の方策に関する議論が追加された。この著作は国内だけでなく、国外からも注目され、最後の財政に関する章の英訳はイギリスでも出版されている。これに並ぶ重要な業績として挙げられるのが『海国图志』(1842)であり、これは当初は50巻本だったが、1847年に60巻本、1852年には100巻本が出されている。

この著作は林則徐から提供を受けた資料をもとにしたものだが、魏源はさらに独自の調査を踏まえて研究を発展させた。この著作の狙いは第一に世界の情勢を広く考察し、その地理、歴史、軍事、政治を検討することにあった。もう一つの狙いはアヘン戦争以降に動きを活発にしている西欧列強に対応するための構想を明らかにすることにあった。例えば魏源は「自守」という観点から沿岸部の地形を分析し、どのような防備が必要になるかを検討している。また「攻夷」の観点からは、守るばかりではなく、攻めることも戦略として考える必要があり、特に英領インドを攻撃目標の候補として指定した。さらに軍事的手段だけでなく、外交的手段をも組み合わせた攻撃が重要だと論じており、例えばイギリスに対してはロシアやフランスと手を結ぶことが有効だと指摘している。

『海国图志』は当時の清の魏源が期待したほど注目を集めることができなかった。しかし、その著作はアヘン戦争で清が敗北したことに危機感を募らせていた日本の兵学者佐久間象山によって詳細に研究され、その後の海防論に影響を与えた。晩年は隠遁して仏教に帰依した。浙江省で死去。