メイヤース

メイヤース

ジョージ・ジュリアン・メイヤース(George Julian Meyers, 1881年4月10日 -1939年12月7日)はアメリカの海軍軍人。

経歴

アイオワ州の出身。フェルディナンド・メイヤースとエマ・メイヤースの息子として生まれる。1902年に海軍兵学校を卒業し、1904年に少尉に任官され、エリザベス・ワーシントン・クラゲットと結婚する。1912年に海軍大学院では機械工学を修め、第一次世界大戦で戦闘に参加し、戦後に海軍十字章(Navy Cross)が授与されている。1922年に海軍大学校、1923年に陸軍大学校で教育課程を修了した。1924年から1925年にかけて補給艦「パトカ(USS Patoka)」の艦長を、1930年前後に軽巡洋艦「メンフィス(USS Memphis)」の艦長を務めた。1934年頃に海軍作戦部で作戦課長を務めていることから、当時の作戦計画の立案に深く関与したことが伺われる。しかし、資料は限られており、軍歴には不明点が多く残されている。没年月日から日本海軍の真珠湾攻撃で戦死した可能性が高いが、その最後についても詳細は不明である。

業績

メイヤースは海軍戦略の研究者であり、戦時だけでなく、平時にも戦略が必要であることを説いている。著作は教科書的な内容であり、さまざまな学説を踏まえながら、自らの戦略理論が展開されている。メイヤースにとって戦略は国家が政策を遂行する手段であり、戦争において決戦を挑み、勝利を収めることは、戦争目的を達成するための一つの手段にすぎない。平素から外交政策と緊密な関連を持つ。海軍戦略に関しては、制海権を確立する程度には違いがあることを述べており、それが及ぶ範囲が限定されていることや、その強度が十分に信頼できないこと、そして海上交通を活用できる時間が限られていることがある。制海権を失った劣勢な海軍であっても通商破壊を行うことは珍しいことではないと指摘されている。

Meyers, Geroge J. 1928. Strategy. B. S. Adams.(2022年現在、絶版)