『戦争論』

『戦争論』

クラウゼヴィッツの『戦争論』は未完の大著であり、その内容は多岐に渡る。以下では、『戦争論』の内容の理解を助けるため、重要部分を抜粋して紹介し、それぞれに対応する解説記事へのリンクを用意した。内容は随時追加、更新する予定である。

『戦争論』の概要

『戦争論』が軍事学において重要な理由はさまざまあるが、特に重要なものとしては(1)戦争の本質は暴力の行使にあるため、敵と味方が暴力を行使し合う相互作用が拡大すると、最後には理論的には絶対的戦争に至ることを指摘したこと、(2)現実の世界で絶対的戦争のような戦争がほとんど見られないのは、戦争が本質的に政治の一手段であるためだと説明したこと、以上の2点が挙げられる。これらの思想が盛り込まれた『戦争論』は、戦争を研究する上で大きな価値を持ち、近代的な戦略思想を発展させるための理論的基盤を与えるものとなった。それ以外にも戦略と戦術の分類、戦闘力、戦力の集中、積極防御、予備の運用、摩擦、天才、国民総武装など『戦争論』でクラウゼヴィッツが展開している議論は多岐に渡っている。

戦争の定義について

「我々は戦争について公法学者たちのあいだで論議されているようなこちたい定義を、今さらここであげつらう積りはない。我々としては、戦争を構成している究極の要素、即ち二人のあいだで行われる決闘に着目したい。およそ戦争は拡大された決闘に他ならないからである。(中略)要するに決闘者は、いずれも物理的な力を行使して我が方の意志を相手に強要しようとするのである」(クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、1968年、上巻、28頁)

「このような強力行使は、諸種の技術および科学の一切の発明を援用して装備に努め、持って相手の強力行使に対抗しようとするのである。なおこの強力行使は、国際法的慣習と称せられる幾多の制限を伴うけれども、しかしこれらの制限はいずれも微力であって殆んど言うに足りないものであるから、強力行為に本来の強制力を本質的に弱めるに至らないのである。それだから戦争においては、かかる強力行為、即ち物理的強力行為は(中略)手段であり、相手に我が方の意志を強要することが即ち目的である」(同上)

学説紹介 クラウゼヴィッツは戦争をどのように定義したのか


戦争と政治の関係について

「そこで戦争は政治的行為であるばかりでなく、政治の道具であり、彼我両国の政治的交渉の継続であり、政治における手段とは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である。

してみると、戦争になお独自のものがあるとすれば、それは戦争において用いられる手段に固有の性質に関連するものだけである」(クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、1968年、上巻、58頁)

「戦争は元来、一国の知能であるところの少数の政治家および軍人によって発起せられる。そしてこの人達なら、彼等の目標をしっかりと見定めて、戦争に関する一切の事項をいちいち点検することができるだろう」(同上、下巻、362頁)

「しかしそのほかにも国家の要務に携わる多数の人達があり、かかる場合には、この人達の存在も無視するわけにいかない、とは言えかかる人達がすべて当局者と同じ立場にたって、一切の事情を了解し得るとは限らないだろう。そこで反目や軋轢が生じ、この困難を切りぬけるには、多数の反対者を圧服するような力を必要とする。しかし、この力は十分に強力でないのが通例である」(同上)

学説紹介 軍事学者クラウゼヴィッツが政治を語った理由―戦争と政治の関係を知るために―


軍事理論について

「戦争を構成している一切の対象は、一見したところ錯綜しておよそ弁別しにくいにもかかわらず、もし理論がこれらの対象をいちいち明確に区別し、諸般の手段の特性を残らず挙示し、またこれらの手段から生じる効果を指摘し、目的の特質を明白に規定し、更にまた透徹した批判的考察の光りによって戦争という領域をあまねく照射するならば、理論はその主要な任務を果たしたことになる。そうすれば理論は、戦争がいかなるものであるかを書物によって知ろうとする人によき案内人となり、至る所で彼の行く手に明るい光を投じて彼の歩みを容易にし、また彼の判断力を育成して彼が岐路に迷い込むのを戒めることができるのである」(クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、1968年、上巻、172-173頁)


兵站について

「軍の給養は、近代の戦争においては往時に比して遥かに重要な事項になった。しかもそれは二件の理由による。第一は、一般に近代の軍は、兵数において中世の軍はもとより古代の軍に比してすら著しく巨大になったということである。(中略)第二の理由は、これよりも遥かに重要でありまた近代に特有のものである、即ち近代の戦争における軍事的行動は、以前に比して遥かに緊密な内的連関を保ち、また戦争の遂行に当たる戦闘力は不断に戦闘の準備を整えているということである」(クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、1968年、中巻、216頁)

クラウゼヴィッツの兵站学


勢力均衡論について

「現代のヨーロッパ諸国の現状を察すると、国家および国民に関する大小さまざまの利害関係が極めて多種多様な仕方で交錯し、しかも時々刻々と変化していることを知るのである(諸国家間に、権力や利害関係の秩序整然とした均衡が保たれていると言うのではない。そのような均衡は実在する者でないし、また実際にもこれまでしばしば否定されたのは尤もな次第である)」(クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、1968年、中巻、297頁)

「そして利害関係のこのような交差点の一つひとつが全体を牽制する結び目をなしている。一国のとる方向と他国のとる方向とは、この結び目によって均衡を保っているからである。それだからこれら一切の結び目によって、全体が多かれ少なかれ大きな連関を形成していることはあきらかである。この連関は、かかる結び目の一つに変化の生じる毎に、その場で回復されねばならない。そこで諸国家の全体的関係は、子の全体に変化を生ぜしめるよりは、むしろ全体を現状のままで維持しようと努めるのである。換言すれば、一般に現状維持を旨とする傾向が存在すると言うことである」(同上、297-298頁)

学説紹介 クラウゼヴィッツの勢力均衡論


連合作戦について

「有用な同盟関係にもとづいて目的にかなった戦争を行うために私の知っている事は、ただ二つの手段を用いることである。その一つは、戦争のために定めた戦闘用資材人員を集積してそれを投入する、そしてその指導を一人の将帥に委任することである」(ハンス・ロートフェルス『クラウゼヴィッツ論、政治と戦争:思想史的研究』新庄宗雅訳、鹿島出版会、1982年、237頁)

「いま一つは、それぞれの国の自然的状態および利点にもとづき、共通の戦争計画を起案し、その後のしかるべき時機にその計画に関する一層詳細な原則や実例を与えるのである」(同上、237-8頁)

「(1)二つの強国のそれぞれの重要な軍隊は、おそらくはそれぞれの独自の戦域をもつに違いない」(同上、239頁)

「(2)それらの軍隊がそれぞれ独自の戦域をもつほどそれほど完全に離れて存在することができない場合、この場合はそれら軍隊をできる限り密接に相互に融合させる方が一層有利である」(同上)

「(3)もしそれぞれの国の軍隊が独自の戦域をもつならば、それによって恐らく次の条件が生じるに違いない。(a)独自の戦域が攻勢的であるとすれば、この攻勢の目的をなす征服は攻勢を行おうとする強国の手中にある。(b)独自の戦域が防勢的であるとすれば、この防御に当たる強国の領土は不運な防御によって危険にさらされるに違いない」(同上)

学説紹介 連合作戦を遂行するための戦略の原則―クラウゼヴィッツの分析―