クラウゼヴィッツが語る戦闘モデル

クラウゼヴィッツが語る戦闘モデル

2019年7月25日投稿

はじめに

カール・フォン・クラウゼヴィッツが軍事学において成し遂げた貢献は多方面に及びます。例えば、戦争と政治の関係、戦争の三位一体モデル、攻撃に対する防御の優越、机上の戦争と現実の戦争を区別する摩擦の概念が比較的よく知られています。

今回の記事で取り上げたい彼の功績は、一般にあまり知られていない功績、つまり彼が数的な戦闘力の優劣に着目した戦闘モデル、少なくともその原型を提示したことです。

軍事学の歴史を振り返ると、戦闘の理論的なモデルを構築することの意義はなかなか理解されてきませんでした。戦闘は経験によって学ばれるものであり、理論によって学ぶことができるものではないという意識が軍人の間には根強かったため、それを理論的モデルに抽象化して分析するアプローチはクラウゼヴィッツ以後になってから登場したものだと言えます。

そこで、今回の記事ではクラウゼヴィッツが戦闘モデルについてどのように考えていたのかを紹介したいと思います。

戦闘における兵数の優劣は軽視されていた

それまでの軍事学においては、戦闘の勝敗を考える際に数的な戦闘力の優劣をほとんど考慮されてきませんでした。

現代の常識からは理解しがたい考え方かもしれませんが、18世紀までに書かれた軍事学の文献では戦闘に参加した兵力の具体的な規模が記されていませんでした。彼我の兵数が戦闘の勝敗を規定する要因として軽視されていたのです。

「戦闘力の優勢が長いこと戦争における主要な条件と見なされていなかった事実を証明するには、18世紀の大方の戦史―それも比較的詳密な戦史でさえ、軍の兵力をまったく記載していないか、さもなければ序でに書添えているにすぎないということ、従ってまた兵力の多寡にかくべつ重きをおいていないということを指摘すれば十分であろう。戦史にこれを正式に記載した最初の著述家は、七年戦争史を著したテンペルホフであるが、しかし彼とても極くざっと触れているにすぎない」(3篇8章、邦訳上巻、293頁)

クラウゼヴィッツは18世紀にフランスでよく知られた軍事学者だったモンタランベール(Marc-René de Montalembert)の名前も挙げており、その研究でも戦闘に参加する軍には「最適な」規模があり、それを上回ると「過剰な」、あるいは「無益な」戦闘力が生じると考えられていたことを紹介しています(同上、294頁)。

クラウゼヴィッツはこのような学説には理論的な根拠が存在しないと批判し、戦闘を彼我の戦闘力の数的な優劣によって説明、分析する意義を早くから認識していたのです。

戦闘を定量的モデルで分析する最初の試み

しかし、兵数の優劣という単純な基準で戦闘を分析しようとすると、その戦闘が持っている固有の性質や独自の事象を軽視することに繋がらないのでしょうか。

クラウゼヴィッツもその危うさを知らなかったわけではありません。しかし、クラウゼヴィッツは現実の戦闘を体系的に分析するためには、より定量的に把握、操作ができるモデル化された戦闘という考え方が欠かせないと判断し、あえて数字として把握しやすい兵数をモデルの基礎に置きました。

これは現代のオペレーションズ・リサーチにおけるモデル化の発想を先取りする画期的な議論だといえます。

「戦闘の性質や、戦闘を発生せしめる情況は、戦闘ごとに異なるものである。それだからここの戦闘を具体的に規定するところの一切の要件を、戦闘そのものから分離するとしよう。また軍隊の価値は、軍隊ごとに異なるものであるから、これも度外視するとしよう。そうするとあとに残るのは、戦闘といういわば裸の概念、換言すれば抽象的な闘争だけである。そしてかかる概念に関しては、兵数の多寡しか区別できないわけである」(同上、289頁)

クラウゼヴィッツは現代の研究者にとってなじみ深い「モデル」という言葉を使っていません。しかし、現実的な戦闘から離れて抽象化された戦闘を考える際には、兵数の優劣を基礎に置いた抽象的な概念の枠組みが必要であるとクラウゼヴィッツは考えました。

このような視座から、戦闘における彼我の数的な優劣が圧倒的に傾けば、もし兵数以外の要因が戦闘において効果をもたらしても、それを相殺できるとクラウゼヴィッツは説明しています。

「このように考えられた戦闘においてなら、兵数が勝利を決定することになる。(中略)しかし兵数の優勢と言っても、それには種々な限度がある。例えば、2倍、3倍、4倍のこともあれば、またそれ以上のこともある。そしてこの優勢が次第に増大すれば、ついには諸他いっさいの要件を圧倒するに違いない」(同上、290頁)

読者の中には、このような兵数至上主義の議論に抵抗を覚える人もいるかもしれません。実際、数的な優劣だけで戦闘結果のすべてが説明できるとは限りません。

クラウゼヴィッツ自身、フリードリヒ二世がロイテンの戦いでプロイセン軍30,000名を率い、敵対する連合軍80,000名を撃破したことや、ロスバッハの戦いにおいて25,000名のプロイセン軍で50,000名の連合軍を撃破したことを挙げています(同上、291頁)。

しかし、このように戦闘に参加する彼我の部隊の比率が1:2以上と圧倒的に不利であるにもかかわらず勝利を収めることができたことは例外的な事象だと考える必要があります。

軍事史において2倍の人員を擁する敵軍を撃破して勝利を得ることは稀なことであり、ほとんどの戦闘で兵数の優劣が戦局を左右する程度はかなり大きかったとクラウゼヴィッツは述べています。

先ほどのフリードリヒ二世も高い戦術能力を持っていましたが、それでもコリンの戦いでは30,000名のプロイセン軍で50,000名のオーストリア軍を撃破できなかった例もあります(同上、292頁)。

計算する軍事学が始まった

すべてを説明することができないとしても、兵数の優劣は戦闘の結果を決める基本的要因として考えるべきだと主張したクラウゼヴィッツは、この議論を戦略の研究と結び付けています。

クラウゼヴィッツは戦争において軍隊はまず味方の部隊を戦場で可能な限り集中させることが必要であることを次のように述べています。

「この点から言えば、兵数の優勢が戦闘の結果を規定する最も重要な要因であることを認めないわけにはいかないだろう。しかしその場合の兵数は、同時にはたらいている諸他の要件に匹敵するほどの優勢でなければならない。とにかく兵数の優勢ということから直接に生じる結論は、―決定的な地点においては、できるだけ多数の軍隊を戦闘に参加せしめねばならない、ということである」(同上)

先ほどの議論を踏まえれば、ここでクラウゼヴィッツは単に戦力の集中を訴えているだけでなく、従来の学説とは全く異なる視座から戦略を研究しようとしていることが分かります。

味方が戦場で集中すべき戦力の理論的な上限が取り払われたことにより、これまで考慮されていなかった戦力運用の可能性を研究できるようになりました。

もちろん、これは数的優位さえあれば勝利が確証されるという意味ではなく、そのことに関して注意するようにクラウゼヴィッツ自身が念押ししています(同上、297-8頁)。

まとめ

戦闘で使用される武器や、指揮官の戦術能力、気象や地形の影響など、戦闘には多種多様な要因が作用すると考えられるため、兵数の優劣を軸に据えたクラウゼヴィッツの戦闘モデルは実際の解析や予測に使用するにはまだ単純すぎます。

しかし、冒頭でも説明したようにクラウゼヴィッツまでの軍事学の研究では、兵数の優劣を体系的に記録するどころか、分析も行われていない状況でした。

そのことを踏まえれば、クラウゼヴィッツが提案した戦闘モデルがその後の研究が発展する上で重要な意味を持っていたといえます。

クラウゼヴィッツが唱えた戦闘モデルの歴史的意義を高く評価した研究者にアメリカの軍事学者トレヴァー・デュピュイがいます。彼はこの戦闘モデルを「兵数の法則」と呼び、これが『戦争論』で最も重要な部分だったと評価しています(Dupuy 1987: 28)。

デュピュイもクラウゼヴィッツの戦闘モデルが初歩的、試案的なものだったと認めていますが、ここから環境的要因や指揮官の能力など、さまざまな要因が戦闘に与える影響を比較分析することが可能になったとも指摘されています(Ibid.: 29-30)。

特に戦闘の分析でよく使われる戦力比という概念はこのクラウゼヴィッツの研究に裏打ちされた概念であり、現在の軍事理論で最も基本的な概念の一つに位置付けられるでしょう(武内 2018)。

武内和人(Twitterアカウントnoteアカウント


参考文献