マイゼロア

マイゼロア

ポール・ジェデオン・マイゼロア(Paul-Gédéon Joly de Maïzeroy, 1719年1月10日 - 1780年2月7日)はフランスの陸軍軍人である。

15歳の時にフランス陸軍に入隊し、将軍サックスの指揮下で七年戦争にも従軍した経験があり、またギベールの説に批判を加えたことでも知られている。また、軍事史の研究に取り組む中で、戦略という用語を軍事学の研究に持ち込んだとされており、1771年にビザンツ皇帝の著作の翻訳を通じて初めて「戦略」という用語を使い始めた。自軍の背後連絡線を守りながら、敵に対して主動的地位を獲得するといった戦略の基本原則も、マイゼロアの研究によって基礎づけられた。ただし、マイゼロアは戦略に一般的な原則があったとしても、その成否は本質的に将帥の才能にかかっていると主張していた。プロイセン国王フリードリヒ二世と個人的に交流があり、その著作はドイツでも読まれていた。マイゼロアが唱えた戦略の概念は、後にプロイセン出身の著述家であるビューローの研究によって再定義されることになり、軍事学の基本概念として定着することになった。

マイゼロアがアカデミーへの入会に認められ、軍事学者としての地位を確立できたのは、1766年に発表した著作『戦術の理論、実践、歴史に関する教程(Cours de tactique théorique, pratique et historique)』によるところが大きい。この著作は七年戦争に従軍する前の時期に書かれ、1776年、1785年に再販されるロングセラーとなり、フランス語から英語、ドイツ語にも翻訳された。現在、出版されたものを入手することは難しいが、オンラインでデジタル版が読める。日本語に翻訳されたことはない。