マウリキウス

マウリキウス

マウリキウス(Maurikios 539年? - 602年11月27日)はビザンツ帝国の皇帝である。『ストラテギコン(Strategikon)』(6世紀後半?)の著者として知られているが、別人が著者である可能性も指摘されている。

経歴

マウリキウスはビザンツ帝国の軍人としてペルシアとの戦争に従軍し、皇帝ティベリウス二世の信頼を得て、娘コンスタンティナと結婚した。先帝が582年に崩御し、帝位を継承してからは、防衛体制を固めるだけでなく、外交政策の大幅な見直しにも取り組んだ。イタリアのラヴェンナ、北アフリカのカルタゴに総督府を設置し、西方の領土に対する統制を強化しただけでなく、ペルシア帝国との関係を改善させた。さらにマウリキウスは当時のビザンツ軍の改革に乗り出し、外国人傭兵を排除して規律を回復させようとした。国庫を圧迫する軍事予算を削減することによって、財政の健全化にも努めたが、このような措置は軍隊の反乱を引き起こした。百人隊長だったフォーカスは反乱軍を指導してマウリキウスを処刑し、自らが新たな皇帝であると内外に宣言した。

著作

マウリキウスの著作『ストラテギコン』には成立過程に不明な点があるものの、中世初期の戦争術を知る上で欠かすことができない貴重な研究資料と位置付けられている。著作の内容は将軍を読者に想定した教範であり、宿営地で軍隊の人馬をどのように維持すべきなのか、行進中に敵の奇襲を受けた際にどう対処すべきか、戦闘で勝利を収めた際に、指揮官として注意すべき点などがまとめられている。この著作は18世紀にマイゼロアによってフランス語に翻訳されたことで再評価された。現在では英語で読むこともできる。

  • Maurice. 1984. Maurice's Strategikon: Handbook of Byzantine Military Strategy, trans. George T. Dennis, Philadelphia: University of Pennsylvania Press.