クーホルン

クーホルン

メンノ・ヴァン・クーホルン(Menno van Coehoorn, 1641年3月?日 - 1704年3月17日)はオランダの陸軍軍人、軍事学者である。要塞の建設や攻囲で功績を上げ、フランスのヴォーバンに匹敵する築城家として知られた。

オランダのブリツスム出身。軍人の家に生まれ、家庭で教育を受けた後にフラネケル大学に入学し、数学、築城学に関心を持つようになった。1657年に父の中隊に配属されて軍人になり、マーストリヒト守備に加わった。1665年に第二次英蘭戦争で最初の戦闘に参加し、1672年にフランス軍を相手にしたマーストリヒト防衛戦で敗北を喫した際に負傷した。その後も各地で戦闘の経験を積み、また築城学を中心としてオランダの戦略に関する研究を行った。『五角形要の要塞とその周囲の構築物(Versterchinge de Vijfhoeks met alle syne Buytenwerken)』(1682)と『湿地、低地における新しい要塞の建設(Nieuwe Vestingbouw op een natte of lage horisont)』(1685)はその成果をまとめたものであり、一線配備方式から複線配備方式、専守防御から積極防御へ転換することが唱えられていた。

その成果は1688年に勃発した九年戦争でクーホルン自身によって実践された。1691年にクーホルンはナミュールの築城工事の指揮をとり、翌1692年にフランス軍の攻囲を受けた際には持久戦を遂行した。最終的にこの戦闘でナミュールは陥落したが、1695年にクーホルンの手によって奪い返されている。これらの戦闘で注目を集めたことにより著作は英語、フランス語、ドイツ語に翻訳され、ヨーロッパで広く読まれた。1701年に勃発したスペイン継承戦争にも従軍したが、作戦会議に出席するために訪れていたハーグで死去した。

著書