シャポシニコフ

シャポシニコフ

ボリス・ミハイロヴィチ・シャポシニコフ(Boris Mikhailovitch Shaposhnikov, 1882年10月2日 - 1945年3月26日)はロシア・ソ連の陸軍軍人である。軍事学史においては『軍の頭脳』の著者として知られており、これはソ連軍において長く古典としての位置づけが与えられていた。

経歴

ズラトウースト出身。軍人の家に生まれ、1901年にロシア帝国陸軍に入隊した。第一次世界大戦ではカフカス擲弾兵師団の師団長を務めていたが、ロシア革命が起こると赤軍に身を投じ、ロシア内戦では軍司令官として指揮をとった。ロシア内戦が終結した後は労農赤軍の参謀部に配属され、参謀長の第一補佐官に着任した。その後、レニングラード軍管区司令官、モスクワ軍管区司令官、労農赤軍の参謀長、沿ヴォルガ軍管区司令官、陸軍大学校校長を歴任した。この間に主著『軍の頭脳(Мозг армии)』(1927-9)を出版している。

1937年、ヨシフ・スターリンが大粛清を行って処刑されたミハイル・トゥハチェフスキーの後任として参謀総長に就任した。1939年に第二次世界大戦が勃発するとソ連軍の改革計画を推進し、1940年に元帥に昇進したが、フィンランドとの冬戦争でソ連軍に多大な犠牲を与えた責任を問われて参謀総長を退いた。しかし、1941年にドイツがソ連に対する侵攻を開始すると、再び参謀総長に着任して作戦の指導に当たり、1942年までその任務を遂行した。その後、副国防人民委員、軍学校の校長を務めた。モスクワにて死去。

著作

主著『軍の頭脳』は1927年から1929年にかけて3巻に分けて出版された著作であり、赤軍において広く読まれた。この著作が取り上げた論点は多岐に渡っているが、その一つにクラウゼヴィッツが定式化した政治に対する戦争の従属的な性質がある。あらゆる軍事行動は政治に従うものであって、特に動員に関しては政治的判断を担う政党によって決定されるべきだと考えられた。ソ連軍の教育で教範として冷戦期にも読み継がれた著作であり、ソ連軍のドクトリンに与えた影響は大きい。

  • Шапошников Б. М. 1927-1929. Мозг армии. Военгиз.