ラッツェル

ラッツェル

フリードリヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel, 1844年8月30日 - 1904年8月9日)は、ドイツの地理学者である。軍事学史においては後の地政学の概念である生存圏の概念を唱えたことで知られている。

経歴

カールスルーエ出身。バーデン公の宮廷に仕える近侍の家に生まれ、薬剤師になるため生物学の教育を受け、1868年に動物学の研究でハイデルベルグ大学から博士号を授与された。教育を終えた後でラッツェルはフランスをはじめ世界各国へ調査旅行へ赴き、学問的関心を地理学に移した。1870年に普仏戦争が勃発した際には、帰国してプロイセン陸軍で従軍し、2度負傷した。1875年に調査旅行を終えるとミュンヘン工科大学で私講師の身分で地理学を教えるようになり、翌年には員外教授に就任した。この教育活動を通じて、『アメリカ合衆国(Die Vereinigten Staaten von Amerika)』(1878-1880, 全2巻)と『一般地理学についての24回の入門的講義(Die Erde in 24 gemeinverständlichen Vorträgen über allgemeine Erdkunde)』(1881)を出版している。1886年にライプツィヒ大学へ招聘され、そこで地理学の講義を受け持つことになった。この頃にドイツでは植民地の拡大を求める運動が高まっており、ラッツェルもドイツ植民地協会の会員になった。それに伴って新たな研究領域である政治地理学の調査研究に取り組み、『政治地理学(Politische Geographie)』(1897)を発表している。アマーラントにて死去。

業績

ラッツェルの研究業績が重要な理由は、フンボルト、リッターなどが築いた近代地理学の成果に依拠しながら、人類地理学、政治地理学という新しい分野を切り開き、人間集団の形成、拡大、消滅を地理上の要因と関連付けながら考察する方法を提示したことにある。学説史においては生存圏(Lebensraum)という概念を唱えたことでも知られており、これは人口支持力を発揮する特定の地理的空間を記述するために用いられた。実際、ラッツェルは人口圧の緩和のために植民地が拡大されると説明するなど、後の地政学の基本思想に影響を与えており、学説史において地政学の源流と見なす場合もある。ただ直接的に地政学を唱えたのはルドルフ・チェレーンであり、ラッツェル自身は地政学という用語を使っていたわけではない点には留意が必要である。

ラッツェルの主著『人類地理学』は翻訳が出されており、日本語で読むことができる。

  • Ratzel, F. Anthropogeographie: Die geographische Verbreitung des Menschen. Stuttgart : Engelhorn, 1882–1891.(翻訳『人類地理学』由比浜省吾訳、古今書院、2006年)