古代ローマのウェゲティウスは「戦いの原則」として何を書き残したのか

古代ローマのウェゲティウスは「戦いの原則」として何を書き残したのか

2020年6月18日

はじめに

古代ローマの著述家ウェゲティウスの著作『軍事学の大要(Epitoma rei militaris)』は中世ヨーロッパ地域で多くの読者を得た軍事学の古典であり、ローマ軍の訓練、編制、装備、戦法が解説されています。特に読み継がれてきたのは第3篇の「戦いの原則」ですが、この記事では、この戦いの原則に関するウェゲティウスの考察を取り上げ、紹介してみたいと思います。

今回参照しているのは1993年にリヴァプール大学出版会から初版が出され、1996年に2版が出たN. P. Milnerの英訳です(Vegetius, 2001(1996). Vegetius: Epitome of Military Science, Trans. N. P. Milner, Liverpool University Press.)。

ウェゲティウスの軍事思想の基礎

ウェゲティウスは戦場で部隊を運用する際に適用すべき基本として戦いの原則を述べています。そのそれによれば、あらゆる戦闘において、我が方に利益になれば、それは敵の方に不利益をもたらすものであり、また敵を助けることがあれば、それは常に我を苦しめることになるとのことです。ウェゲティウスはこの考え方を次のように説明しています。

「それゆえ、我々は決して敵が喜ぶような行動をとってはならず、味方にとって有利であると判断されたことだけを遂行しなければならない。敵が自らの利益として行ったことを真似すれば、それは自分自身を不利にするためである。また、それと同じように、味方が何かを行い、それを敵が真似ようとすれば、それは敵を不利にするのである」(Vegetius 2001: 116)

ここで問題となるのは、どのような行動が我にとって有利なのか、敵にとって不利なのかを明らかにすることです。

現代の研究者にとって興味深いのは、ウェゲティウスが武器を用いて敵部隊を徹底的に撃滅するという戦い方を推奨していない、ということです。むしろウェゲティウスはいくつかの有利な条件が生じた場合か、あるいはやむを得ない場合を例外として、大規模な交戦を遂行すべきではないと主張していました。

ウェゲティウスが語った戦いの原則の特徴

現代の戦いの原則では、目標、主導、集中、奇襲など、ポイントだけを抽出した内容で構成されています。そのため、ウェゲティウスが論じている戦いの原則は非常に具体的な内容であり、原則らしくありません。箴言のようにも読み取れます。

また、その中には些末に見える内容のものもあり、例えば「戦争においては、外哨における監視に多くの時間を費やし、兵士の訓練に注力するほど、危険に晒されることが少なくなるだろう」のように、常識的な議論も含まれています(Ibid.: 116)。

しかし、ウェゲティウスの議論には注目すべき点もあります。例えば戦闘力に関する記述があり、「勇気は兵力よりも価値がある」と述べた直後で、「地形はしばしば勇気よりも価値がある」と述べている箇所があります(Ibid.: 117)。ウェゲティウスは部隊の戦闘力が環境の要因によって変化するだけでなく、戦局によっても変化すると考えており、「戦機」を捕捉することには、勇気よりも大きな価値があるとも述べていました(Ibid.: 116)。そのため、部隊の正面を広くとって兵士を長々と横隊に展開するのではなく、戦局の変化に即応できるように、部隊後方に予備隊を拘置するように努めるべきだとも主張しています(Ibid.)。

最も注目すべきは、ウェゲティウスが大規模な戦闘を実施することを戒めている箇所であり、この点を詳しく説明するためにウェゲティウスの原則をいくつか抜き出してまとめてみます。

「飢餓、襲撃、恐怖で敵を制することは、勇気よりも幸運の方が大きな影響を及ぼす戦闘で敵を制するよりも、さらに望ましいことである」(Ibid.: 116)

「本心で投降するのであれば、敵兵を誘い出し、受け入れることは、安全を確保する上で大いに役立つことである。なぜなら、死傷者が生じるよりも脱走兵が出てきた方が、敵は弱体化するためである」(Ibid.)

「勝利を収めることが期待できるまでは、決して兵士を大規模な交戦に参加させてはならない」(Ibid.: 117)

「優れた将軍はいくつかの有利が生じるか、大きな必要に迫られない限り、決して大規模な戦闘に参加してはならない」(Ibid.: 118)

「剣よりも飢えによって敵を圧倒する方が、より強力な布陣である」(Ibid.)

ウェゲティウスの説によれば、大規模な戦闘の結果は不確実な要因によってどうしても左右されてしまいます。指揮官はこれを可能な限り回避すべきであり、敵の後方を遮断し、あるいは敵の後方支援段列を襲撃するといった戦法で糧食を奪い、脱走を誘発させることを重視すべきです。そうすれば、戦わずして敵を屈することができるとウェゲティウスは考えていました。

戦闘に際して適用すべき原則について

それでも敵と一戦を交えるならば、ウェゲティウスは状況に応じて部隊を動かすべきであるとも読者に教えており、その動かし方は便宜的にいくつかのパターンに区分されています。ここの指示も短い原則の形式で述べられており、番号が付与されています。

「兵力と勇気で優勢であるならば、第一の戦法である長方形の隊形をとって戦闘を遂行せよ。兵力が劣勢であると判断したならば、第二の戦法として我の右翼で敵の左翼を撃退せよ。我の左翼が強力であることが分かっているのであれば、第三の戦法として、敵の右翼を攻撃させるように仕向けよ。歴戦の兵士がいるならば、第四の戦法として両翼がともに戦闘を開始すべきである。精強な軽歩兵を指揮しているならば、第五の戦法として、その軽歩兵を戦列の前方に配備し、敵を両翼から攻撃させよ。兵力においても、勇気においても自信を持つことができず、持久戦を遂行しようとしているのであれば、第六の戦法として我の右翼で敵の左翼を撃退し、残りの兵力で包囲翼を延長せよ。敵に比して我の部隊が少数であり、劣勢であることを知っているのであれば、第七の戦法として我の一翼を山地、都市、河川、あるいは他の地形障害に依託して掩護せよ」(Ibid.: 117-8)

ここにまとめられている七つの戦法は、あくまでも戦闘原則を述べる中で示されているため、戦いの原則としては詳細に議論されていませんが、いずれも戦術行動として側面攻撃や包囲機動が重視されていたことが分かります。

ウェゲティウスが正面攻撃を推奨しているのは、質と量の両面で優位に立っている場合(第一の戦法)だけでした。第七の戦法部隊の一翼を地形障害に依託することで、敵の包囲機動を未然に防ぐことを優先していますが、これは質と量の両面で劣勢に立っているためです。

むすびにかえて

ウェゲティウスの著作は日本でまだ邦訳が出版されていないこともあり、一般の読者にあまり知られていないかもしれませんが、それは詳しく研究するに値する内容です。ウェゲティウスの著作は単にローマ軍の組織構造や作戦要領を記述するだけにとどまってはいません。それは理想的な軍隊のあり方や、望ましい軍隊の動かし方を教示する意図をもって書かれており、軍人のための教範として読むことができます。

このような実用性からウェゲティウスの著作は何世代にもわたって読者を獲得してきました。ヨーロッパの軍事思想の発展に大きな影響を及ぼしています。リヴァプール大学教授クリストファー・アルマンド(Christopher Allmand)が著作『ウェゲティウスの軍事論(The De Re Militari of Vegetius)』(2011)で指摘しているように、それは中世を通じて軍事学の基本文献と見なされています(Allmand 2011)。

例えば、中世の哲学者ジョン・ソールズベリー(John of Salisbury, 1115/20~1180)が著した『政体論(Policraticus)』、カスティリャ王アルフォンソ十世(1221~84)が編纂した『七部法典(Siete Partidas)』、神学者アエギディウス・ロマヌス(Aegidius Romanus, 1247頃~1316)の『君主の統治(De regimine principum)』、さらに女性の著述家ド・ピザンの軍事思想にウェゲティウスの著作が影響を及ぼしていたことを読み取ることができると述べられています(Allmand 2011: 254)。