移動式大陸間弾道ミサイルの歴史を記述した『選ばれなかった道(An Untaken Road)』の紹介

移動式大陸間弾道ミサイルの歴史を記述した『選ばれなかった道(An Untaken Road)』の紹介

2020年7月10日

はじめに

現代の核戦略の調査研究において、大陸間弾道ミサイル(InterContinental Ballistic Missile, ICBM)は重要な位置を占めており、その戦略的打撃力は国際社会の平和と安定に多大な影響を及ぼしてきました。最近では北朝鮮軍が開発を推進していることもあって、日本でも関心が高い装備になっているのではないかと思います。

今回は、アメリカ空軍における移動式大陸間弾道ミサイルの歴史を取り上げた著作『選ばれなかった道:アメリカの移動式大陸間弾道ミサイルの戦略、歴史、秘史(An Untaken Road: Strategy, Technology and the Hidden History of America’s Mobile ICBMs)』(2016)を紹介したいと思います。著者はアメリカ空軍士官学校で軍事学・戦略学の准教授であるポメロイ(Steven A. Pomeroy)です。

いかに移動式大陸間弾道ミサイルの構想は具体化されたか

大陸間弾道ミサイルは世界で最も複雑な装備体系ですが、大きく分けてサイロ式と移動式という2種類に大別することができます。サイロ式とは、ミサイルのために建設された施設に格納する方式であり、移動式は車両や鉄道などで運搬する方式です。現在では移動式とサイロ式を兼用する大陸間弾道ミサイルも配備されているのですが、1950年代に配備され始めた第一世代の大陸間弾道ミサイルはサイロ式が主流でした。

これまでの調査研究で注目されてきた大陸間弾道ミサイルはこの第一世代に属するものが多いため、移動式の大陸間弾道ミサイルの歴史に関しては不明確な点が多く残されてきました。この課題を解決するために取り組まれたのが『選ばれなかった道』であり、これは移動式大陸間弾道ミサイルの研究開発に関する最新の研究成果として位置づけることができます。

全部で10章から構成されており、第1章では、研究で用いる概念的な枠組みが説明されています。著者は大陸間弾道ミサイルが核戦略と密接な関係を持ちながら研究開発されてきたと考えており、科学技術史の分野で著名な歴史学者トーマス・ヒューズ(Thomas P. Hughes)の開発モデルを修正しながら自身の研究で用いています。

本論が始まるのは2章からであり、1950年代から1980年代まで包括的にその歴史が記述されています。アメリカの政策過程、特に軍事行政の分野において大陸間弾道ミサイルの位置づけの変化や、大陸間弾道ミサイル関連技術の移転、拡散、開発の進展が相互に影響を及ぼし合いながら展開していたことが説明されています。

もともと移動式大陸間弾道ミサイルはサイロ式大陸間弾道ミサイルの脆弱性という問題を解決するために構想されました。サイロ式は普段から地下施設に格納されているため、通常兵器での攻撃からは守られていますが、ソ連軍が核戦争を覚悟した上でサイロの位置を特定し、核攻撃を加えてきた場合には被害が出てしまうことが懸念されました。つまり、アメリカが核戦争でソ連に核兵器に報復できない状態に陥る可能性が考慮されたため、核兵器を運用するアメリカ空軍としては移動式の大陸間弾道ミサイルを配備し、ソ連に対抗しようとしたのです。

戦略理論としては筋が通っているかもしれませんが、これを実施することが政治的、軍事的に容易なことではなかったことを著者は明らかにしています。あまり知られていないことですが、アメリカ空軍の内部では最初の大陸間弾道ミサイルが配備された1950年代から移動式の大陸間弾道ミサイルの構想が議論されていました。

しかし、移動式にする場合の輸送手段が問題となり、車両、鉄道、船舶など幅広い選択肢が検討され、空軍として潜水艦も当初から候補としていましたが、アメリカ空軍として潜水艦を運用することはアメリカ海軍と管轄を争うことになるため、「有人水中発射台(manned underwater launch platform)」という呼称が用いられたことも率直に述べられています。移動式大陸間弾道ミサイルの開発には官僚的な予算獲得競争としての側面があったことが分かります。

しかし、全体として見れば移動式の構想は1950年代から1960年代にかけて強い支持を得ることができていなかったとも述べられています。第一撃に対する脆弱性の問題は、アメリカ海軍が開発した潜水艦発射弾道ミサイル(Submarine-Launched Ballistic Missile, SLBM)によって対応することが可能となり、さらにサイロ式が目覚ましい成功を遂げたことで一定の解決策が得られたと考えられていたためです。しかし、ソ連軍の核戦力の拡充が注目されるようになる1970年代に入ると再び移動式をめぐる議論が活発化していきました。

この時期に著者が注目しているのは技術開発に政治が与えた影響です。大陸間弾道ミサイルの開発や運用に関しては国内の政治情勢の影響を強く受けてきました。例えば、カーター政権は移動式大陸間弾道ミサイル(MX)200基を地下シェルターに配備し、地下道を経由して4600か所から発射できるようにすることを1979年に表明しました(第8章)。

しかし、この移動式大陸間弾道ミサイルの配備は大規模な用地を必要とするため、ネバダ州やユタ州に土地を持つ有権者から強い反発を受けることになり、1981年にレーガン政権で計画の見直される大きな要因となっています(第9章)。著者の考察は、移動式大陸間弾道ミサイルの歴史が技術決定論的な観点から説明できないことを浮き彫りにしています。

むすびにかえて

核兵器の歴史に関する研究は数も多く、内容も充実していますが、大陸間弾道ミサイル、それも移動式大陸間弾道ミサイルに特化した研究はあまり例がありません。この著作はその空白を埋める価値があります。ほとんど唯一の例外として言及すべきは『隣のミサイル:アメリカの内陸部におけるミニットマン(The Missile Next Door: The Minuteman in the American Heartland)』(2012)であり、これは大陸間弾道ミサイルのミニットマンの歴史を扱った研究です。

ミニットマンはサイロ式として運用されていましたが、1950年代末から1960年代初頭にかけて移動式として配備する計画がありました。それが実現しなかったのはケネディ政権によってサイロ式で配備されることが決定されたためなのですが、その経緯は『選ばれなかった道』と併せて『隣のミサイル』を研究すればより深く理解することができます。

日本でもミサイル防衛システムの配備をめぐって計画が見直される動きがあります。アメリカ空軍の核戦力整備の歴史を研究することにより、現在の配備プロセスに対する理解を深める上で役に立つと思います。

執筆:武内和人(Twitterアカウント