ダリウス

ガブリエル・ダリウス(Gabriel Georges Darius, 1859年2月21日 - 1931年9月21日)はフランスの海軍軍人であり、20世紀初頭のフランス海軍の戦略思想に影響を及ぼしたことで知られている。

経歴

トゥールーズ出身。1786年にブルターニュの海軍兵学校に入学し、1879年に少尉に任官した。トゥーロンの潜水学校で学んでから、1889年に世界初の電気推進方式を採用した潜水艦「ジムノート」の艦長に就任した。潜水艦に対する理解を深める中で、海軍の戦略・戦術に関する独自の研究を発展させ、1895年に「潜水艦に関する研究(Études sur les bateaux sous-marins)」を出版し、その内容は学界からも評価された。その後、海軍大臣の官房長に抜擢され、地中海艦隊司令官を務めるなど、海軍の要職を歴任し、その影響力を増していった。

1907年に砲術学校で教官を務めているが、この年に主著である『海戦(La guerre sur mer, stratégie et tactique)』を出版している。1912年に地中海練習艦隊司令官を務め、『必要とされる海上戦力(La Puissance navale nécessaire)』(1912)を出版した。1914年に第一次世界大戦が勃発してからも教育訓練の任務に当たっていたが、1915年にロシュフォール鎮守府司令長官に任じられ、同年の末に連合艦隊司令長官に就任した。第一次世界大戦が終結するまでその地位にあったが、戦後の1919年にビゼルテ鎮守府司令長官を経て1924年に予備役に編入された。トゥーロンにて死去。

著作

第一次世界大戦勃発前後のフランス海軍史においてダリウスが提示した戦略思想には少なくとも二つの意味がある。第一に、ダリウスは当時の海軍戦略の研究でよく知られていたアメリカのアルフレッド・セイヤー・マハンと同じアプローチで海軍史を研究し、制海権の獲得のためには潜水艦や水雷艇を整備するだけでは不十分であると判断した。マハンは海軍戦略の研究において戦いの原則を確立することを重視するアントワーヌ・アンリ・ジョミニの方法を参考にしていたが、ダリウスも戦略の基本原則に依拠する形で海軍戦略を考察し、艦隊決戦の重要性を指摘するに至った。

第二に、ダリウスは当時のフランス海軍における戦略論争において、通商破壊を重視することで知られるジュネコールという勢力の戦略思想に異を唱えた。ジュネコールは戦艦や重巡洋艦のような大型で高価な艦艇を整備する代わりに、水雷艇や巡洋艦を多数建造すべきと主張していたことから、ダリウスの議論はその主張に反対するものとなった。第一次世界大戦の前のフランス海軍はドイツ海軍を仮想敵として見る点で一致していたが、具体的な作戦構想では意見の不一致があり、ダリウスの『海戦』はそれを統一する意味合いがあった。

ダリウスの著作は一部のみ翻訳されているが、現在は入手困難である。

  • Darrieus, G. 1907. La guerre sur mer, stratégie et tactique : La doctrine, Paris: Challamel.(邦訳、ダリュ『海戦史論』加藤政司郎、松宮春一訳、興亡史論刊行会、1919年)
  • Darrieus, G. 1912. La Puissance navale nécessaire : Conférence faite pour la Ligue maritime française, Paris: Grasset.