ハーディ

ハーディ

ウィリアム・ハーディ(William J. Hardee, 1815年10月12日 - 1873年11月6日)はアメリカの陸軍軍人である。陸軍省の命令を受けて執筆した歩兵戦術の教範はアメリカ南北戦争を通じて広く読まれた。

経歴

ジョージア州の出身。農園を所有する軍人の家に生まれた。1838年に陸軍士官学校を卒業し、騎兵科の将校として少尉に任官した。第二次セミノール戦争(1835-42)に従軍した際に病気で陸軍病院に入院したが、回復して間もない1840年にフランスへ留学する機会を得た。フランスでは戦術学の研究に打ち込み、その成果をアメリカにもたらした。米墨戦争(1846-1848)では戦功をあげており、戦後にその能力が見込まれて1853年に陸軍士官学校の教官に就任し、戦術学を教えていた。

1856年には学校長に就任してアメリカ陸軍の軍事教育で指導力を発揮していた。陸軍省の命令によって歩兵教練の教範を執筆し、これは南北戦争(1861-1865)が勃発してから南北両軍で広く読まれることになった。南北戦争では故郷のジョージア州が離脱を決めたので、南軍に入隊した。戦時中には訓練が不足して練度に問題が多かった南軍の部隊を短期間で鍛え上げ、高い評価を受けた。戦後は陸軍を去り、アラバマ州に移住し、鉄道などを経営する実業家になった。バージニア州にて死去。

著作

ハーディの著作『戦闘時における部隊の演習と機動のための小銃手及び軽歩兵戦術(Rifle and Light Inantry Tactics)』(1855)は陸軍長官の命令によって作成された公式の教範であり、当時のアメリカ陸軍で採用された歩兵部隊のための教練がまとめられている。日本語に翻訳されたことはないが、オンライン版を読むことができる。