空軍

空軍

空軍(air force)とは航空機およびミサイルを主要装備として空中における作戦を遂行する能力を備えた軍事組織であり、陸軍、海軍に並置される軍種の一つである。

空軍の任務は空路の利用を可能にする航空優勢(制空権)を獲得、保持することを基本とする。ここでの航空優勢とは、特定の空域において敵に妨げられることなく我の航空機が飛行できる状態を指している。古来より軍隊の活動領域は陸上と海上に制限されていたが、19世紀末から20世紀初頭、特に第一次世界大戦に発達した科学技術の成果によって航空機を使った捜索、偵察、輸送、そして攻撃を実施できるようになった。そのため、航空優勢をめぐって激しい攻防が空中で繰り広げられる事態が起こり、これに対応するために陸軍、海軍に並んで軍種としての独立空軍を創設すべきと着想する研究者が出始めた。独立空軍の構想の先駆者となったのはイギリスの技術者フレデリック・ランチェスターである。ランチェスターの萌芽的研究はイギリスの軍人デイヴィッド・ヘンダーソン少将の戦略思想に大きな影響を及ぼすことになり、彼の働きかけを通じて1918年に史上初の独立空軍であるイギリス空軍が創設されたことに間接的に貢献した。

しかし、航空優勢の獲得、保持を通じて空軍がどのように戦争の展開を左右するかに関しては学説史においてさまざまな議論があった。ここでは二つの説を紹介する。一つ目はイタリアの陸軍軍人ジュリオ・ドゥーエの説であり、彼の功績は戦略の観点から空軍の任務について独自の検討を加え、それは敵国の政経中枢に対して戦略爆撃を実施することだと判断したことにある。この思想は1921年に著作『制空』で述べられており、そこでは敵国の政経中枢に爆撃を加え、敵国の戦意を挫くまでそれを反復することで、戦争を終結に導くことが可能であると論じられている。空軍の任務を戦略爆撃として規定するドゥーエの説は戦間期から第二次世界大戦にかけて世界的に注目を集め、各国の空軍戦略にも影響を及ぼした。

ドゥーエが考える戦略爆撃は第二次世界大戦においてヨーロッパ、アジアで実施され、多大な犠牲者を出した。その最たるものが日本の広島と長崎に対するアメリカの原爆投下であり、これは核兵器が歴史的に初めて戦略爆撃に使用された前例になった。アメリカの政治学者バーナード・ブローディは核兵器の威力がそれまでの通常兵器と異質なものであるという立場に立ち、これを戦略爆撃ではなく抑止のために運用する戦略を研究することを唱えた。当時、核兵器を運搬する手段は戦略爆撃機に限られていたが、やがてロケット・ミサイル工学の研究開発が進むにつれて、より迅速かつ確実に核攻撃を実施することが可能になり、さらにアメリカ以外にも核兵器を開発し、保有する国が増加するに従って、ブローディが主張した抑止の概念はますます重要な意味を持つようになり、戦略爆撃の反復は敵国からの報復で自国に多大な損害を生じさせる恐れがあると認識されるようになった。そのため空軍の任務を陸軍、海軍に対する支援に限る思想が生まれ、航空偵察、近接航空支援、航空阻止、航空輸送などの任務の意義が見直されるようになった。