決戦を好み、持久戦を嫌った軍人たちの誤りが指摘される

決戦を好み、持久戦を嫌った軍人たちの誤りが指摘される

2020年6月1日投稿

はじめに

古来、多くの軍人が決戦の勝敗こそ戦局を左右するという思想に囚われてきました。そのため、持久戦の効果は過小に評価されがちであり、全体としてバランスを欠いた戦略思想が形成される原因にもなってきました。

ボストン大学の准教授ノーラン(Cathal J. Nolan)博士は、2017年に刊行した著作『戦闘の魅惑(The Allure of Battle: A History of How Wars Have Been Won and Lost)』でヨーロッパの軍人たちが持久戦よりも決戦を戦略的に重視する傾向があったことを指摘しており、その理由を歴史的アプローチで説明しようとしています。

この記事では、ノランが著作で示した解釈を要約して紹介してみたいと思います。

決戦で勝利する意義の過剰な強調

ノーランはヨーロッパの戦争史を通じて、数多くの軍人たちが間違った戦争観、戦略思想に囚われてきたと考えました。それは、決戦、短期戦、機動戦で勝利を収めることこそが最も重要な問題であるという考え方です。これこそが軍人の考え方を危険なまでに歪ませる根本的な原因だったとノーランは主張します。

ノーランの見解によれば、短期決戦で勝利を収めれば、その戦果が直ちに戦局を好転させ、戦争を有利に遂行することが可能になるという説には根拠がありません。そのような思想に根差した戦争指導は、ナポレオン戦争におけるフランス軍、第一次世界大戦、第二次世界大戦におけるドイツ軍で実践されましたが、いずれも失敗に終わっていると見なされているためです。

しかし、短期決戦の構想は非現実的なものであったにもかかわらず、戦争の長期化を望まない勢力にとってあまりに魅力的であったために、軍事思想として放棄されることがありませんでした。短期決戦を具体化するための研究が軍事学の分野で進められ、マールバラ公爵、フリードリヒ二世ナポレオン一世ヘルムート・フォン・モルトケなどの偉大な将帥を理想化する言説には強い影響力があったのです。

しかし、このような解釈が恣意的であるとノーランは指摘しています。例えば、マールバラ公爵はスペイン継承戦争でイギリス軍の指揮をとった名将と称えられていますが、本格的な戦闘を指揮した経験はわずか4度であり、最後のマルプラケの戦いで敗北を喫したのは、軍が許容不可能なまでの死傷者を出したことに起因していました。

また、19世紀にプロイセン陸軍で参謀総長だったモルトケは、普仏戦争(1870~1871)でフランス軍をわずか3カ月で撃破する快挙を成し遂げました。このことは、短期決戦が現実に実行可能であることを印象付け、その後の戦略思想に与えた影響も大きなものがありました。しかし、決戦で勝敗が決した後も、フランスは直ちに降伏せず、しばらく戦争が続いていました。

決戦志向の戦略思想が第二次世界大戦に与えた影響

この著作でノーランが検討しているのは、主としてヨーロッパの軍事史です。しかし、近代日本の軍事思想に関しても、同じような決戦志向が見られたことについて議論しています。

日本は明治維新の後でフランス、ドイツ、イギリスなどから軍事学の研究を導入しますが、その過程でアメリカの海軍士官アルフレッド・セイヤー・マハンの決戦を志向する戦略思想を日本海軍が受け入れた弊害が生じ、その影響は第二次世界大戦まで続きました。ノーランは考察は次の通りです。

「日本海軍の一部では、長期持久の海上戦の考えもあったが、大部分は将来の仮想敵国に対して大規模な海上戦を遂行するというマハン的な思考に縛られたままだった。日本海軍が日本陸軍との交渉で引き合いに出された「予算編成において設定された敵国」については、1905年にアメリカ海軍と決まった。しかし、この決定は戦略的態勢や実際の軍事的意図によって決まったのではなく、保有能力だけで将来の敵国を仮定するという手法によって決まったものだった」(Nolan 2017: 511)

当時の世界では、日本だけが間違った戦略思想に囚われていたというわけではありません。マハン的な短期決戦を志向する考え方は、アメリカ海軍でも支持を集めていました。

ただし、アメリカ海軍では、状況が変化するにしたがって、長期戦を前提にする戦略思想へと変化していったので、その弊害が緩和されたとノーランは考えています。

「アメリカ海軍も1930年代の半ばまでは、決定的海戦というマハン的な教訓に支配されていたが、 戦争が始まってから急速に発展すると見積もられていた艦隊構想(海軍航空隊、水上艦艇、潜水艦)の実験も行っていた。初期の戦争計画では、太平洋の中部において敵を一網打尽にする構想があり、これは日本の主流派の考え方と同じように、敵の空母を罠に誘い込んで撃破し、その後で戦艦の砲戦によって勝敗をつけるというものだった。この勝利によってアメリカ海軍はフィリピンの安全を確保すると同時に、海上封鎖、海上侵攻で日本を敗北へ追い込むことが可能になる。(中略)しかし、1935 年までにはアメリカ海軍で慎重派が台頭し、太平洋の中部で艦隊決戦を行うことを延期し、日本との戦争の序盤でフィリピンを喪失する事態を容認する戦略に落ち着いた。(ただし、アメリカ陸軍はそれを受け入れようとはしなかった)」(Ibid.: 513)

見方によっては、アメリカ海軍の戦略思想には一貫性がないようにも見えます。しかし、ノーランの立場から見れば、それは健全な戦略思想への回帰として解釈することができます。日本は短期決戦の戦略的効果を信じ、大胆な攻撃に打って出ましたが、望まない長期戦を強いられました。

対するアメリカは当初から長期戦を想定していたので、一時的に戦略陣地を敵国に明け渡すことも受け入れながら、味方の消耗をコントロールし、数的な優勢が実現するまで時間をかけて戦ったのです。

むすびにかえて

ノーランは戦争の問題を戦闘の勝敗に直接的に結び付けることが間違っていることを、より多くの人々が認識すべきであると主張しています。ノーランは本書で述べられていることは、必ずしも研究者にとって目新しいものではないはずだと述べており、より広い読者に向けてメッセージを発したいという自らの意図を説明しています。

ノーランの著作は、持久戦、消耗戦、長期戦を重視する戦略思想の意義を再認識させる啓発的な研究です。人的、物的な損害の拡大を防ぎ、戦争の経済的、社会的な影響を最小限に食い止めるために、決戦、機動戦、短期戦は政治的に望ましいものですが、それが可能であるかどうかについかについては、常に慎重な態度で判断しなければならないでしょう。

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文献案内

ノーランは多くの軍人が決戦、短期戦、機動戦の効果が過大に評価してきたと批判していますが、そのような見解は今でも支持を集めており、研究も続いています。最近の文献として以下を紹介しておきます。

どちらも軍隊の数的規模ではなく、運用要因を重視した研究です。ただし、デイヴィスは戦術、ビドルは作戦にそれぞれ分析のレベルを合わせています。消耗戦、持久戦の意義を強調するノーランの議論は分析レベルを戦略に限定しているので、軍事行動のレベルに応じて異なる考え方が必要であると解釈するならば、これらの研究成果は必ずしも論理的に矛盾していません。