部隊は1日に何キロまで前進できるのか

部隊は1日に何キロまで前進できるのか

2019年7月18日投稿

陸上作戦における部隊の前進速度の重要性

陸上作戦を考える際に避けては通れないのが前進速度(rate of advance)の問題です。戦闘を開始した陸上部隊が1日にどこまで前進できるのかを定量的に見積もることができなければ、前進目標に到達するまでの日数を推計できないだけでなく、その間に生じる物的、人的な損害の予測、弾薬、糧食の予測もできなくなります。

実は軍事学において陸戦における部隊の前進速度をどのように見積もるのかという問題は紀元前から語られてきました。その議論は経験則に頼ることが多く、また戦闘のデータの収集が困難だったこともあり、長らく体系的な研究が行われてこなかった難問でもあります。

1日当たり20km、あるいは25kmと言われることもありますが、これは理想的な状況で部隊が行進できる距離の目安であり、気象、季節、地形、敵情など、さまざまな要因によって変化することを考慮しなければなりません。

時代が下るにつれて部隊の前進速度に関する統計的データの収集と分析が進んでいます。今回の記事では、そうした研究成果を取り上げ、その内容の一部を紹介しましょう。

論文情報

  • Robert L. Helmbold, Rates of Advance in Historical Land Combat Operations, Bethesda, MD: U.S. Army Concept Analysis Agency, 1990.

近代戦になるほど前進速度は低下する傾向にある

報告書の著者ヘルムボルド(Robert Helmbold)が調査したところ、部隊の前進速度には大きなばらつきがあることが判明しており、単線的な変化では説明できないとされています。徒歩、騎馬、車両など部隊が利用できる移動手段によって前進速度が規定されるわけではないと指摘されており、気候、地形、戦力比など多種多様な要因が影響を及ぼすものと考えられています。

例えば、1986年度版の米陸軍の野戦教範においては、19世紀の南北戦争におけるグラント将軍が1日当たり16.9kmも前進していたため、現代の米軍としてもこれに匹敵する速度、奇襲、機動、決戦を追求すべきだと論じられていたことがあることが紹介されています。これは米軍が理想的条件の下で1日当たり前進できる距離をどのように見積もっていたのかを知る上で興味深い数字です。

しかし、第二次世界大戦にイタリア半島で実施されたアンツィオ戦役においては、米軍の前進速度は1日当たり13kmを記録しており、先ほどのグラント将軍の進軍に比べるとやや劣っていることが分かります。

それにもかかわらず、このアンツィオ戦役における米軍の進軍は近代戦において非常に素早い進軍の部類だと見なされました。自動車が部隊で運用されるようになっているにもかかわらず、南北戦争の進軍よりも遅くなっていることを考えれば、これは不思議なことに思われるかもしれません。

ヘルムボルドが調査で使用した資料には、過去400年にわたって収集された部隊の前進速度のデータが含まれていました。ここに挙げられていない他の戦闘の例と比べても、移動手段が発達しているはずの近代戦での軍の前進速度が前近代の軍よりも低下する傾向があることが確認できます。

世界最古の戦史として知られる紀元前15世紀のメギドの戦いでは、トトメス三世が率いるエジプト軍がエジプトのカンタラ(Kantara)からガザ(Gaza)までを1日当たり32kmという驚異的な速度で前進しており、これに比べればグラント将軍の前進速度でさえ大した数字に思えなくなるかもしれません。

このような奇妙な傾向が生じる理由について、ヘルムボルドは戦闘の烈度が増すほど部隊が前進できる距離を低下させる効果があること、そして時間的にも近代戦の方が戦闘期間が長期化する傾向があることが前進速度の低下を引き起こすと説明しています。

つまり、部隊がどのような移動手段で前進しようとしても、戦闘が激しさを増してくるほどに、移動手段を活用できる場面はなくなってくるということです。先ほどのトトメス三世のエジプト軍は当初の集結地から戦場予定地まで行進に専念することができた可能性があり、不意に敵軍と遭遇する可能性や敵の前哨の抵抗を予期しながら前進したグラント将軍の北軍とは単純に比較することはできないのです。

また、前進速度の計算では、ある程度のまとまった期間にわたって部隊が前進した距離を測定し、それを日数で割るという処理を行っていることにも注意が必要です。

1日から2日で勝敗が決する前近代の戦闘に比べれば、近代戦では数日間、数週間に及ぶ戦闘も珍しくありません。そのため、近代では軍が戦闘中に前進をいったん中断し、部隊の再編成を行ってから前進を再開することも増えてくるため、停止間の日数が前進速度の計算に影響を及ぼし、データ上の前進速度を低下させているようです。

軍の前進速度に関する意外な分析結果

陸上作戦で前進する部隊が小規模になるほど、前進速度が向上しやすいという有名な仮説の妥当性についてもヘルムボルドは独自に検討しており、実際にこの妥当性が確認できたと述べています。

ただし、部隊の規模が900名から1,000名に達した時点で、前進速度の観点から見れば「大部隊」に分類されること、そしてそれ以上の規模になると前進速度に大きな差が見られなかったとも述べています。

この説明によるなら、標準的な陸軍の編制でたった1個の歩兵大隊(800名~1,000名)が戦場を前進するだけでも、それは連隊、旅団、師団などと同じ「大部隊」と同じような速度で前進する可能性が高いものと考えなければなりません。

これ以外にも戦場を前進する速度は、歩兵部隊、車両で移動可能な機械化歩兵部隊、機甲部隊の間でそれほど変化がなかったという指摘も出されており、これは先ほど述べた戦闘の烈度が高くなるほど顕著に見られる傾向だとも述べられています。機械化歩兵部隊や機甲部隊の機動力が最大限に発揮されるのは、戦闘の烈度が非常に低い場合であり、歩兵部隊に比べて1.5倍から2倍程度の速度で前進できる場合があると説明されています。

ヘルムボルドの研究成果でさらに興味深い点は、陸戦を遂行する部隊の移動時間の90%以上が停止して敵と戦うことに費やされていることを発見した点であり、これは陸戦における部隊の前進の仕方を理解する上で重要な成果だと位置づけられています。

それによれば、もしデータ上で24時間に部隊が戦場を1km前進できたとしても、実際に前進に費やすことができている時間は最も理想的な場合であっても2時間程度でしかないないと考えるべきです。部隊の前進速度を理解する上で、このような戦闘の実情が浮き彫りになったことには大きな意義があったといえるでしょう。

まとめ

米軍の教範で述べられていた通り、歩兵部隊の1日当たりの前進速度を考えるのであれば、グラント将軍の前進速度、すなわち1日当たり16.9kmが一つの基準となります。しかし、ヘルムボルドが述べているように、これはかなり戦闘の烈度が低い状態を想定した数字であることに注意し、防御の準備が整っていない敵部隊に対してのみ実現可能な前進速度だと考えるべきです。

もし機械化歩兵部隊、あるいは機甲部隊の前進速度を同条件で見積もるなら、先ほどの数字を2倍して33.8kmと計算できます。ヘルムボルドは車両の保有率が高い機甲部隊だけに限定して前進速度を分析することはしていませんが、歴史的に見て機甲部隊の前進速度を機械化歩兵部隊の前進速度と同一視することはできないので、1日当たり35kmから40kmまでの範囲で修正して考えてもよいと思います。

これらの数字を基準にした上で、戦力比、つまり味方の戦闘力に対する敵の戦闘力の大きさに応じて前進速度が低下していくものと考えれば、陸上作戦における部隊の前進速度を大きく見誤ることはないはずです。ただし、大隊よりも小さな部隊、つまり中隊以下の前進速度に関してはまったく別の基準が必要であるとヘルムボルドが述べた点には注意しなければならないでしょう。

武内和人(Twitterアカウントnoteアカウント