ゴルツ

ゴルツ

コルマール・フォン・デア・ゴルツ(Colmar von der Golz 1843年8月12日 - 1916年4月19日)はプロイセンの陸軍軍人である。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的に有名だった軍事学者であり、著作『国民皆兵論』は各国で翻訳されて読まれた。

東プロイセンの軍人の家に生まれ、1861年に陸軍に入隊した。1866年に陸軍大学校に入校を許されたが、普墺戦争が勃発したため、学業を一時的に中断して前線に派遣された。戦闘で負傷した後で1867年に参謀本部陸地測量部で勤務した。1870年に勃発した普仏戦争ではフリードリヒ・カール親王が率いる第二軍の幕僚として勤務したが、戦争が終わった1871年にポツダムにある学校で教官となり、それから間もなく参謀本部戦史部へと転属になった。1878年にベルリンに戻って陸軍大学校の戦史教官に任じられ、そこでの研究成果をまとめて『国民皆兵論(Das Volk in Waffen)』(1883)を出版した。この著作はドイツで高い評価を獲得することになり、軍事学の世界でゴルツの地位を大いに高めた。当時、敗戦国になったフランスではドイツの軍事学を積極的に調査研究する動きがあったことから、『国民皆兵論』は1884年にフランス語に翻訳され、そこでも多くの読者を得た。1883年からゴルツはトルコ軍を再建するために派遣されており、そこで12年にわたってトルコ軍の近代化のために務めた。帰国したのは1896年であり、1913年に陸軍元帥の階級で退役した。しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発したため、ゴルツはドイツ軍が占領したベルギーで軍政監に任ぜられ、その後は侍従武官としてトルコに派遣され、スルタンの軍事顧問として仕えた。1915年にトルコ軍がメソポタミアで作戦を指導した際に第一軍司令官として従軍したが、1916年にバグダッドで死去した。

ゴルツの主著である『国民皆兵論』は1883年に出版されたが、1925年にフリードリヒ・フォン・デア・ゴルツによって増補されたものがある。初めて日本語に翻訳されたのは1916年だが、これは1884年に出版されたフランス語版を重訳したものである。1925年の増補版の和訳は1926年に陸軍大学校から出版されている(コルマル・フォン・デル・ゴルツ『国民皆兵論:現代の軍制と統帥』日本陸軍大学校訳、偕行社、1926年)。いずれも入手困難になっている。

  • Golz, C. von der. 1883. Das Volk in Waffen, ein Buch über Heerwesen und Kriegführung unserer Zeit. Berlin.

まだ調査中の事項ではあるが、ゴルツの著作の訳書として以下の文献が出版されていることが確認できた。

  • デル・ゴルツ著、竹島要左衛門訳『独立斥候論』竹島要左衛門、1899年
  • フォン・デル・ゴルツ著、藤山治一訳『交戦及統帥』軍事雑誌社、1906年
  • フォン・デル・ゴルツ、ベルンハルデイ著、田代順一郎訳『国家の興亡と青年独逸』興国社、1915年