マクデューガル

マクデューガル

パトリック・レオナルド・マクデューガル(Patrick Leonard MacDougall, 1819年8月10日 - 1894年11月28日)はイギリスの軍人である。

経歴

フランスのブローニュ=シュル=メール出身。サンドハーストの陸軍士官学校で学び、1836年に少尉任官を果たした。最初の配属先は第79歩兵連隊(Queen's Own Cameron Highlanders)であり、後に第36歩兵連隊(36th Herefordshire Regiment of Foot)に移った。1840年に創設されたばかりの王立カナダ歩兵連隊(Royal Canadian Rifle Regiment)に1844年に転属し、そこで10年近くを過ごすことになった。1854年にイギリスに戻り、陸軍士官学校で勤務することになったが、その職務はクリミア戦争への派遣で中断された。帰国してからは職務に復帰し、クリミア戦争で露呈したイギリス陸軍の問題を是正する意図をもって、著作『戦争の理論(The Theory of war)』(1856)を出版した。カンブレーで幕僚大学校が創設された際には、その初代校長に任命されている。

1861年にその職を離れてからも、英米関係の悪化に伴って北アメリカにおける作戦計画の作成に携わり、五大湖を制してメイン州に侵攻する重要性を主張し、1862年にはカナダで現地調査にも従事した。南北戦争の調査研究にも取り組んでおり、その成果は1864年には『近代砲兵の影響下における近代戦(Modern warfare as influenced by modern artillery)』でまとめられた。1865年にカナダで部隊の整備に携わるが、南北戦争が終結してからはアメリカ軍の脅威も和らぎ、1869年に帰国した。その後も、普仏戦争のプロイセン軍に関する調査を行っている。『近代歩兵戦術(Modern Infantry Tactics)』(1873)はその時期の調査の成果をまとめたものであり、当時のプロイセン陸軍の歩兵戦術の特徴を分析している。

1878年にカナダ駐留のイギリス陸軍の最高司令官として着任し、5年の任期を過ごした。1883年にイギリスに帰国し、1885年に現役を引退した。ロンドンにて死去。