現代の軍事地理学の研究状況が分かるオックスフォード大学出版会の文献案内

現代の軍事地理学の研究状況が分かるオックスフォード大学出版会の文献案内

2020年8月14日

ビラノバ大学准教授フランシス・ガルガーノ(Francis A. Galgano)は陸軍士官の経歴を持つ地理学者です。専門は軍事地理学であり、後述する『現代軍事地理学(Modern Military Geography)』(2010)の編者でもあります。

彼はオックスフォード大学出版会がさまざまな学問の専門文献を紹介する「オックスフォード・ビブリオグラフィーズ」のウェブサイトで軍事地理学の文献案内を発表しています。日本で軍事地理学の文献を見かけることはほとんどないと思いますが、海外では最近でもいくつか重要な研究成果が出ていることが分かると思います。

軍事地理学とは何か

そもそも、軍事地理学とはどのような学問なのでしょうか。ガルガーノはその主な特徴として、「軍事的な問題に地理学的な情報、手法、技術を適用する」ものだと説明しています。あらゆる軍事作戦は地理的な条件の下で遂行されるものであり、運用する部隊や装備の種類、遂行すべき任務の内容によって気候、地形、水系、植生などあらゆる地理的な要因が関係してきます。したがって、軍事地理学は軍事作戦を研究するための重要な視点を与えてくれる学問と位置付けることができます。

19世紀に軍事地理学が成立した当初、研究者は特定の地域や事例の研究を通じて、自然環境が戦闘行動に与える影響を説明することに取り組んでいました。ところが、その分析の対象とする地域の範囲は次第に広がり、第一次・第二次世界大戦以降になると地理学者の支援を受けて、研究は飛躍的に前進します。冷戦時代の軍事地理学は、米国とソ連の対立を背景に各地で繰り広げられた代理戦争の地理的な特徴を分析するようになります。冷戦が終わってからは、政情が不安定な地域における非国家主体の脅威が研究の対象となってきました。

(軍事地理学の歴史に関しては、過去のブログ記事「多くの人が知らない軍事地理学の歴史を振り返る」も参照してみてください)

最近はどのような研究成果が出ているのか

ガルガーノが取り上げているのは、冷戦以降に出版された軍事地理学の文献です。一般に軍事地理学の研究は時代遅れになりやすいのですが、1966年に出版された『軍事地理学(Military Geography)』は冷戦時代の軍事地理学を概観する上で今でも参考になる文献とされています。これは冷戦構造の特徴である東西陣営への分裂と、国家を中心とした戦略的状況を説明した内容になっており、軍事地理学の分野では長らく教科書として読まれてきました。

ポスト冷戦世代の軍事地理学の教科書としては、1998年に出版された『専門家と国民のための軍事地理学(Military Geography for Professionals and the Public)』を挙げることができます。これはガルガーノによれば、「軍事的環境に関連する地理学のあらゆる要因が包括的に取り扱われている」ものであり、個別のテーマについて深い議論が展開されているわけではありません。ただ、ガルガーノはこれが概説書として優れていることを認めており、やはり軍事地理学の教科書として価値があるとされています。

教科書ではありませんが、気候、気象、地形、土壌、植生が歴史上の軍事作戦に与えた影響をより詳細に研究した文献として優れているものとして1998年に出版された『悪天候との戦い(Battling the Elements)』が出ています。この研究は過去の戦闘の事例を分析し、地理的な影響がどれほど戦闘の結果に大きな影響を及ぼしていたのかを明らかにしていますが、ガルガーノは「焦点が自然環境にのみ限定されている」とその分析の限界があることも指摘しています。ガルガーノ自身が編集に関わった『現代軍事地理学(Modern Military Geography)』は2011年の著作であり、これは自然地理学と人文地理学の両方の成果を取り入れた論集となっています。

一般向けの著作になりますが、ガルガーノは2004年に出た『国防総省の新しい地図:21世紀における戦争と平和(he Pentagon’s New Map: War and Peace in the Twenty-First Century)』を現代の地政学的な状況を考察し、当時注目を集めた文献として紹介しています。これは政策志向が強い著作ではありますが、21世紀の軍事情勢を考える際に、十分な統治能力を備えた国家のグループ(中核)と、破綻状態にある国家のグループ(辺境)に大別し、グローバル経済を稼働させるように米国の世界戦略を方向付けるべきだと主張しています。これは日本語で読むことが可能です(『なぜ戦争は起こるのか』)。

2005年に出版された『戦争と平和の地理学(The Geography of War and Peace: From Death Camps to Diplomats)』は従来の軍事地理学の枠組みであまり注目されてこなかったテーマを取り上げている研究であり、テロリズム、ナショナリズム、薬物戦争、水資源、平和運動、戦後復興に関する論文が収録されています。ただし、これは複数の分野の論文を編纂した論集であるため、著作全体の内容はやや散漫です。

もう少し系統的に議論を進めているものとしては、2000年代の初頭には軍事地理学の歩みを振り返り、その成果を確認した『21世紀の始まりにおける米国の地理学(Geography in America at the Dawn of the 21st Century)』(2003年)があります。これは軍事地理学の専門書ではないのですが、その一章を割いて「軍事地理学(Military Geography)」を取り上げ、その研究の歴史を17世紀の初頭にまでさかのぼって検討しています。この論文では軍事地理学の研究対象が局地的な範囲から、広域的な範囲へと拡大し続けてきた経緯が明らかにされています。

さらに系統的なものとしては、2006年にウィーンで出版された『軍事地理学の国際便覧(International Handbook of Military Geography)』があり、これは軍民両方の専門家の協力の下で書かれたハンドブックです。一般的な軍事作戦だけでなく、災害派遣や治安維持といった任務を遂行する場合に、地理的観点からどのようなことが分かるのかを解説しています。ガルガーノはこれを「軍事地理学のテーマが拡大していることに対応した優れた論集」と高く評価しています。編集者はオーストリア軍の将校であり、米国、英国、フランス、イタリア、オーストリア、ドイツなどの研究者が執筆した論文で構成されていますが、読んでみるとやや内容が高度すぎるという印象もあります。

一般向けの軍事地理学の著作としてガルガーノが注目しているのが『地理学の逆襲:迫りくる紛争と運命との戦いについて地図は何を語るのか(The Revenge of Geography: What the Map Tells Us about Coming Conflicts and the Battle Against Fate)』であり、これは世界規模で展開する国際情勢の変化を検討し、将来の予測を試みた著作です。この著作の特徴は古典的な地理学の理論から得た洞察が、現代でも通用することを主張していることであると評価されています。これは2012年に出ているので、先ほど述べた『国防総省の新しい地図』(2004)よりも最近の情勢が考察されています。

最後に紹介する著作は2016年の著作『軍事地球科学と砂漠戦:過去の教訓と現代の挑戦(Military Geosciences and Desert Warfare: Past Lessons and Modern Challenges)』です。古典的な事例分析を展開する論文もあれば、地理情報システムを用いた最新の分析手法も駆使した研究もある多様な内容の論集です。かなり専門的な内容であるため、すでに軍事地理学についての知識を持っている読者が想定されています。タイトルにもある通り、砂漠戦が一つの共通のテーマとなっており、例えば「イラクの自由作戦と前進作戦基地の活用(Operation Iraqi Freedom and the Use of Forwarding Operating Bases)」(第2部)は、米軍の世界展開を支える多種多様な前進作戦基地について分析を加えています。米軍の任務が戦闘から治安維持へと変化した2003年から2011年にかけて、これらの基地がどのような影響を受けたのかが考察されています。

むすびにかえて

19世紀の軍事地理学は戦場や戦域の地形を分析するものが多かったのですが、地域研究の手法が取り入れられるようになり、20世紀に入ってからは全世界を視野に入れた地政学的な分析が発展しました。ここで紹介されている文献は、ほとんどが冷戦以降に出版されたものであり、地政学的な分析手法がすでに確立された後の研究ということになるでしょう。しかし、現代の軍事地理学の研究は地政学だけに取り組んでいるわけではなく、古典的な地形分析や地域研究の問題にも取り組んできたことがお分かりいただけると思います。日本ではなかなか軍事地理学の研究成果が書籍として出版される機会は少ないかもしれませんが、海外の成果を取り入れて、日本でも研究が活発になることを願っています。

武内和人(Twitterアカウント

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参考文献