ビューロー

ビューロー

アダム・フォン・ビューロー(Adam Heinrich Dietrich von Bülow, 1757年 - 1807年7月16日)はプロイセンの陸軍軍人、著述家である。

貴族の家に生まれ、プロイセン陸軍に入隊し、歩兵科の士官に任命された。後に騎兵科に転科したが、1790年に退役した。転職を繰り返し、諸国を旅行していたが、やがて著述家として専念するようになった。フランス革命戦争・ナポレオン戦争で注目を集めた研究者だったが、ナポレオンがヨーロッパを支配すると予見したことなどが政府への批判と見なされ、ベルリンで投獄される。プロイセンがフランスで占領されると、リガに身柄を移され、獄中で死去した。

軍事学に関する著作を多く残したが、作戦基地の配置や作戦線の形態に依拠した戦略理論はクラウゼヴィッツなどから批判を受けた。しかし、軍事学の発展にとって重要な戦略、戦術の概念を定義した功績は小さくない。死後に著作集が編纂されている。主著の『戦争の近代的体系の精神』は現在では入手は困難になっているが、オンライン版を読むことが可能である。日本語に訳されたことはないが、英訳が出ているため、そちらで読むことはできる。