戦略学の権威コリン・グレイの研究業績を紹介する

戦略学の権威コリン・グレイの研究業績を紹介する

2020年6月24日

はじめに

研究者のデヴィッド・ローンズデール(David J. Lonsdale)が2020年2月27日に亡くなった戦略学の権威コリン・グレイを追悼する記事を6月22日付でウェブサイトWar on the Rockに掲載しました。

COLIN S. GRAY: A REMINISCENCE, War on the Rock, 2020/6/22(20206年6月24日アクセス確認)

ローンズデールはグレイに師事した研究者であり、クラウゼヴィッツの軍事理論を応用して現代の戦争様相を考察した著作も出しています。

今回は、ローンズデールの追悼記事を参考にしながら、グレイの業績や戦略思想の特徴を紹介してみたいと思います。

核戦略に関する研究業績

学界でコリン・グレイの名を有名にしたのは、核戦略の研究成果でした。これはかなり型破りな核戦争の理論的研究であり、ローンズデールも追悼記事でそのことを指摘しています。そこではグレイが学界の主流派に挑戦することを厭わない姿勢の研究者であったと語られています。

「学業を進める上で私はコリンから大きな影響を受ける助言をもらいました。それは「正統派に挑戦することを恐れなてはならない」というものです。もしかすると、確立された考え方を乗り越えようとする意気込みは、1970年代、1980年代にコリンが核戦争理論を展開したことを部分的に説明しているかもしれません。「勝利は可能である(Victory Is Possible)」(1980)と「核戦略:勝利の理論の事例(Nuclear Strategy: The Case for a Theory of Victory)」(1979)という2本の論文ではっきりと示されているように、コリンは抑止理論と各省破壊の範囲を超えた核戦略論争を発展させる貢献を果たしました」

ここで示されている「勝利は可能である」はパイン(Keith Payne)との共著論文であり、核戦争が引き起こされる可能性を真剣に考慮しながら、それにどのように対処すべきかを考察した論文です。そこでグレイは核抑止が当然のものとして機能するとは限らないと判断し、核戦争が勃発したならば、それを遂行するためには政治家が政策的目標を明確に定義しなければならないと主張しました。

さらにローンズデールはグレイの論文「抑止のための戦争遂行(War‐fighting for deterrence)」(1984)を取り上げ、抑止のための戦略と、戦争を遂行するための戦略を理論的に分けて考えるのではなく、状況に応じて柔軟かつ円滑に使い分けられるべきものとして、総合的に考察すべきものであることを主張したことを紹介しています。これは抑止と対処とで分けて考えられることが多かった核戦略を、戦略一般の枠組みで捉えなおす試みだったと言えるでしょう。

戦略文化に関する研究業績

ローンズデールはグレイの核戦略に関する研究が戦略文化(strategic culture)の研究を発展させる上でも重要な役割を果たしたことを紹介しています。これも当時の合理的選択アプローチが基本だった戦略学の主流派に論戦を挑む議論でした。

「コリンが戦略文化の議論に大いに貢献できたのは、ある程度は核戦略の研究のためでした。『核戦略と国民性(Nuclear Strategy and National Style)』(1986)などの著作で、コリンは戦略の文化理論のために力を尽くした最初の世代に属していました。当初、この理論は厳しい批判に晒されていましたが、コリンと彼の仲間たちは、戦略思想と防衛政策の文化的側面があることを理解させるため、激しい論戦を繰り広げました」

戦略学の研究にグレイが戦略文化というアイディアを持ち込んだため、合理的選択アプローチを当然視する研究者からは批判を受けました。しかし、グレイは1990年代にも戦略文化論の可能性を一貫して訴えており、ローンズデールは「文脈としての戦略文化(Strategic Culture as Context)」(1999)でグレイが戦略文化の有用性を主張していたことを紹介しています。

特殊な形態の戦略に関する研究業績

グレイは核兵器の問題だけでなく、他の特殊な形態をとった戦略について研究を行っていました。ローンズデールはグレイが驚くほど多くの分野を横断しながら研究を行っていたことに触れながら、特に航空戦略の分野で重要な成果を残してたことを説明しています。

例えば、『戦略的効果のためのエアパワー(Airpower for Strategic Effect)』(2012)は理論と歴史のバランスをとりながら航空戦略を考察した名著であったとローンズデールは評価しています。ローンズデールにはアメリカ空軍で20年以上にわたって戦略学を教えてきた経験があり、そこで長らく参照されてきたことも紹介されています。

コリンはさらに科学技術が発達した将来において、どのような戦争の形態が生じるかを考察する研究にも取り組んでおり、『もう一つの血塗られた世紀(Another Bloody Century)』(2006)では、宇宙空間、サイバー空間を取り入れた戦争の形態について洞察力ある考察を展開したことが述べられています。

戦略の一般理論

戦略学の課題としてしばしば指摘されることは、理論的研究の不足です。歴史的研究の数が多いのに対して、戦略理論はあまり十分に研究されているわけではないことがグレイの長年の不満であり、これを解決するために数多くの著作が書かれました。『現代の戦略(Modern Strategy)』(1999)は代表的な業績ですが、それ以外にも『戦略の架け橋(The Strategy Bridges)』(2010)、『戦略の理論(Theory of Strategy)』(2018)などの著作があります。ローンズデールは『戦略の架け橋』が「間違いなく、コリンの戦略理論への最も重要な貢献」と評していますが、『現代の戦略』で示された「戦略の次元」が持つ基本的な意義が失われることがないとも述べています。

「晩年、コリンは戦略に対するアプローチを説明することを可能にする分類法(時には図解)をたくさん作成しました。これは、『戦略の格言(Fighting Talk)』(2009)の40の格言、『戦略的架け橋(The Strategy Bridge)』の 21の言説、『戦略の理論(Theory of Strategy)』の 23の原則で特に顕著です。これらの著作では豊富な洞察を見出すことができますが、私は今でも『現代の戦略』に見出される「戦略の次元」のミニマリズムを好んでいます」

「戦略の次元」はグレイが提唱した戦略を分析するためのモデルです。戦略に関するさまざまな要素が3つの主要なカテゴリーに区分される17個の次元に整理されています。一つ一つの次元が相互に影響を及ぼすため、一つの領域で効率が悪化すると、それは戦略の他の次元に悪影響を及ぼすため、絶えず全体がうまく機能するように注意を払わなければならないとグレイは主張していました。

むすびにかえて

ローンズデールは追悼記事を通じてグレイがいかにカール・フォン・クラウゼヴィッツの理論を重視していたのかを繰り返し語っています。グレイはクラウゼヴィッツを深く尊敬し、その戦略理論を現代の軍事情勢だけでなく、将来の軍事情勢に適用する方法を模索し続け、その研究成果で現代の軍事学の基盤を広げることに貢献しました。

ローンズデール自身も、クラウゼヴィッツの戦略理論を基礎にした著作として『情報時代における戦争の本性(The Nature of War in the Information Age)』(2004)を出していることからも分かるように、グレイの指導を受けた多くの研究者はクラウゼヴィッツの理論が持つ価値を最大限に引き出そうと努力を重ねています。

この記事を急遽執筆しようと思ったのは、軍事学を学び始めたばかりの学部生時代に私が最も参考にした本の一つがグレイの『現代の戦略』だったからです。グレイの著作はどれも歴史に対する洞察と理論的な鋭さを兼ね備えており、特に『戦争、平和、国際関係( War, Peace and International Relations)』(2007)は教科書としても優れていました。

彼の死後も、彼の業績の価値が薄れることはないでしょう。むしろ、クラウゼヴィッツの『戦争論』のように、死後においてその価値が再確認され、長く読み継がれることになると思います。