曽公亮

曽公亮

曽公亮(999年?月?日 - 1078年2月27日)は宋代の政治家であり、中国の軍事学史においては『武経総要』を編纂した一人として知られている。

経歴

泉州晋江(現在の福建泉州市)の出身であり、字は明仲である。試験に合格して進士になり、会稽県の長官を務め、実績を上げた。勅命で軍事学の研究成果を総括する研究事業に携わり、丁寧(990-1053)と共同して『武経総要』を完成させることに尽力した。その後も行政官として要職を歴任し、1063年に契丹による侵攻を受けると国境の防備を強化することで功績を上げた。朝廷では礼部尚書、吏部尚書、さらに昭文館大学士に任命されるなど能力を高く評価された。1069年に高齢のために政界を退いたが、翌1070年に河陽三城節度使を務めている。

著作

『武経総要』は北方の脅威に備えるため、北宋が軍備と戦備を強化する中で編纂された百科事典的な兵書である。学問的に有益なだけでなく、実務的にも役立つことが目指されており、一般的な兵術の原則から具体的な軍隊の戦法や武器の製造まで総合的、包括的に論じられている。特に軍事技術に関する記述は過去に例を見ないほど充実しており、図解を交えた解説は現在の歴史家に注目されている。特に注目されるのが火薬の製造に関する記述であり、それは唐代に発明されていたが、軍事的に利用されるようになったのは北宋が成立してからであることが分かる。

『武經總要』(外部リンク、Wikisource)