ブラケット

ブラケット

パトリック・ブラケット(Patrick Maynard Stuart Blackett, 1897年11月18日 - 1974年7月13日)はイギリスの物理学者、最初期のオペレーションズ・リサーチャーである。

経歴

イギリスのロンドン出身。株式仲買人の家に生まれた。初等教育を経て海軍士官候補生の道に進み、1914年に第一次世界大戦が勃発した当時は海軍少尉として巡洋艦カーナーボン(HMS Carnarvon)に乗組み、同年12月8日にはドイツの艦艇との海戦(フォークランド沖海戦)に参加した。後に戦艦バーラム(HMS Barham)に移り、1916年5月31日に発生したユトランド沖海戦にも参加している。その後、ドーバー海峡を防衛するハリッジ部隊(Harwich Force)の巡洋艦スタージョン(HMS Sturgeon)に配属された。この部隊で砲術の研究に取り組むようになり、次第に弾道学、物理学、数学への関心を深めていった。

第一次世界大戦が終結した1919年に海軍を離れ、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジで数学を学び始めた。1921年に卒業すると、ケンブリッジ大学所属の物理学研究所であるキャヴェンディッシュ研究所に入所し、1933年までそこで勤務し、物理学を研究していた。この研究で成果を上げたことが評価され、1933年からロンドン大学で、1937年からマンチェスター大学で物理学の教授になっている。1939年に第二次世界大戦が勃発してからは、イギリスの国防省の研究機関である王立航空研究所での装備の開発や運用の解析に携わった。

1941年に「オペレーショナル・リサーチ」、「作戦レベルにおける科学者」と題する論文を出版しており、そこでオペレーションズ・リサーチの軍事的な必要性について主張するとともに、オペレーションズ・リサーチが依拠すべき原則について考察した。1942年に自身で運用解析班を指揮監督し、防空火力の運用、対潜戦、護送船団の計画などの分野で重要な成果を出している。1945年に終戦を迎えてからも、イギリスから1947年に独立したインドに軍事的、科学的な助言を与えるなどの活動は続いた。

1948年には物理学、特に宇宙線の研究業績によってノーベル物理学賞を授与された。1953年にはかつて所属していたロンドン大学に教授として戻り、1969年にはその功績が認められ、一代貴族として男爵に叙され、貴族院の議員になった。ロンドンで死去。

著作

ブラケットの主な功績はオペレーションズ・リサーチの手法を発展させ、作戦行動の効率化のために役立てることを実証したことだが、自身でその手法を詳しく解説しているわけではない。ブラケットの著作は戦後に関心を持った核兵器の問題を扱っている。いずれも新版が出ているため入手することは難しくない。邦訳として『戦争研究』が出ているが絶版になっている。