D.H.マハン

D.H.マハン

デニス・ハート・マハン(Dennis Hart Mahan 1802年4月2日 - 1871年9月16日)は、アメリカの陸軍軍人、軍事学者であり、19世紀初頭にフランスの軍事学の研究成果をアメリカに持ち込み、また南北戦争に従軍した軍人を教育したことで知られている。

経歴

アメリカに移住したアイルランド・カトリックの家に生まれた。出身地がアイルランドだったのか、それともアメリカだったのかははっきり分からない。1820年にウェストポイントの陸軍士官学校に入学するところから軍歴は始まり、まず1824年に主席で卒業した。卒業後も学校に教官として残ることになったが、1826年に4年にわたってフランス陸軍の砲兵・工兵学校への留学が決まり、軍事学の調査研究に従事した。1830年に帰国すると陸軍士官学校の教官に復帰し、長期にわたって軍事教育に従事した。フランスで活発に研究されていたナポレオンの戦争術に関する講義を行い、またフランスで得た近代築城学の知識を駆使しながら、築城に関する著作を数多く書き残した。1871年に外部の委員会がマハンから教職を剥脱するように勧告を出したことを受けて、マハンはハドソン川に身を投げて自殺した。

19世紀のアメリカ陸軍においてフランスの軍事学を普及促進させた功績は大きく、陸軍士官学校にはマハンの名前を冠したホールが存在する。また息子のアルフレッド・セイヤー・マハンはアメリカ海軍に入隊し、海軍戦略思想家として世界的に有名になった。

著作

マハンの主著は『部隊の前衛、前哨および分遣隊、そして敵前でそれらを配置し、運用する方法に関する基礎的考察(Elementary Treatise on Advanced Guard, Outposts, and Detachment Service of Troops, and the Manner of Posting and Handling Them in Presence of an Enemy)』(1861)である。初版は1847年であり、南北戦争では多くの将校に読まれた。その内容の多くは戦術に関するものだが、戦略に関する議論も含まれている。

  • Mahan, D. H. 1861(1847). Elementary Treatise on Advanced Guard, Outposts, and Detachment Service of Troops, and the Manner of Posting and Handling Them in Presence of an Enemy, New York. オンライン版(外部リンクInternet Archive)