レオン六世

レオン六世

レオン六世(Leon VI, 886年9月1日 - 912年5月11日)はビザンツ帝国の皇帝である。軍事学史においては『タクティカ(τακτικῶν)』を編纂したことで知られている。

コンスタンティノポリス出身。バシレイオス一世の子として生まれ、870年に共同皇帝に即位したが、883年に政争に敗れて地位を剥脱された。886年に復権して内政の改革に取り組んだが、893年に勃発したブルガリア帝国との戦争で敗北を喫している。900年頃に編纂されたと推定されている著書『タクティカ』は将帥のための教範であり、当時の戦争術として、軍隊の編成、武器の配分、行進の要領、戦闘の遂行などが包括的に述べられている。912年に病死。

『タクティカ』はもともと『戦争術に関する教令(τῶν ἐν πολέμοις τακτικῶν σύντομος παράδοσις)』と訳することができる表題である。現在は英語の翻訳で読むことができる。