ソ連軍から見た独ソ戦の歴史を描いた『巨人たちが激突する時(When Titans Clashed)』の紹介

ソ連軍から見た独ソ戦の歴史を描いた『巨人たちが激突する時(When Titans Clashed)』の紹介

2020年8月4日

かつて西側の研究者は独ソ戦(1941~1945)をドイツの史料をもとにして研究してきました。これは東西冷戦の最中にソ連の史料にアクセスすることができなかったというやむを得ない事情があったためです。冷戦期の歴史学者は、第二次世界大戦におけるソ連軍の戦いをドイツの史料から理解し、解釈せざるを得ませんでした。

この制約は1991年12月にソ連が崩壊したことによって大きく緩和されることになりました。ここで取り上げる『巨人たちが激突する時:いかに赤軍はヒトラーを止めたのか(When Titans Clashed: How the Red Army Stopped Hitler)』は、冷戦後に公開されたソ連の史料に依拠した独ソ戦の研究であり、1995年に初版が出ましたが、2015年に改訂が行われています。訳書が出ているため日本語で読むことができますが、1995年の旧版を翻訳したものです(邦訳『〈詳解〉独ソ戦全史 戦略・戦術分析 「史上最大の地上戦」の実像』守屋純訳、学研プラス、2005年)。

『巨人たちが激突する時(When Titans Clashed)』の概要

著者の一人であるデイヴィッド・グランツ(David Glantz)陸軍大佐は米陸軍でソ連軍の歴史を専門としていた研究者であり、『ジャーナル・オブ・スラヴィック・ミリタリー・スタディーズ』の編集者も務めた人物です。もう一人の著者であるジョナサン・ハウス(Jonathan House)陸軍大佐は、米陸軍の指揮幕僚大学校で戦史を教えていた教授であり、いずれも軍事史の分野で業績があります。

著者らは最初にソ連軍の歴史的背景を記述し、開戦当時の列強の軍備のデータを確認した上で、独ソ戦の記述を始めています。著者らはこの戦争を3つの期間に分けて記述することにしました。第1の期間は1941年6月から1942年11月であり、この時期のソ連軍はドイツ軍に対して苦戦を強いられました。1941年10月に始まったモスクワの戦闘、さらに1942年6月に始まったスターリングラードの戦闘でドイツ軍の前進を食い止めるために、ソ連軍は多大な犠牲を払わなければなりませんでした。

第2の期間は1942年11月から1943年12月です。この時期にソ連軍は失敗から教訓を学び、またレンドリース法に基づく米国の援助がソ連に届き始めたため、戦いの主導権を取り戻しました。1943年7月クルスクの戦闘でソ連軍が勝利を収めたことは、ソ連軍が確立した人員、武器、装備を充実させ、実用性のある戦闘教義を確立したことが実を結んだことを示していました。

第3の期間は1944年1月から1945年5月です。すでにドイツ軍は劣勢に立たされていましたが、1944年6月にソ連軍が大規模な攻勢を発起するだけでなく、ドイツ軍の防衛線を奥深くまで突破し、ベルリンに向けて一挙に進軍することができました。すでにこの時期には米軍と英軍がドイツを西側から攻めていましたが、ソ連軍はいち早くベルリンに到達するため、積極的な攻撃を続けました。そして1945年4月にベルリンの戦闘を開始し、5月にドイツ軍を降伏に追い込んで戦争を終わらせたのです。

定量的な相対戦闘力の分析に基づいた歴史の叙述

この著作の見所の一つは、原著で補論として配置されている「統計資料」です。これは独ソ戦におけるソ連軍の部隊がどの程度の戦闘力を有していたのかを知る上で参考になるデータが示されています。例えば、ソ連軍が使用した兵力、戦死者・行方不明者、病者・負傷者のデータが作戦ごとに記載されており、その情報源も明記されています。

1941年から1945年までのソ連の武器の生産状況に関するデータも示されており、例えば小銃の生産は1941年には176万丁に過ぎませんでしたが、1942年に591万丁の増産に成功しています。1943年の実績は592万丁とほぼ横ばいになっており、1944年に486万丁と生産が調整されたことが分かります。このようなデータはソ連軍の後方能力を考える上で非常に価値があるものです。

このような統計的資料の活用は、本文における戦闘の分析でも徹底しています。ソ連軍は物量の重要性を認識し、ドイツ軍に対する戦闘力で数的に優位に立つことができるように注意を払っていました。著者らはそのことを実証するため、さまざまな場面でドイツ軍とソ連軍の戦力比を計算し、読者に提示してくれています。

この定量的な相対戦闘力の分析は、ソ連軍の視点から見た独ソ戦を理解する上で非常に役立ちます。戦略上の方針を決める上で物量の優位を重視したソ連軍ですが、作戦・戦闘では縦深戦闘と呼ばれるドクトリンに基づき、戦闘地域を超えて敵の後方地域に進出するなど、運用の面の革新を推し進めていたことも論じられています。

単なる独ソ戦の要約に留まるものではなく、ソ連軍がどのように独ソ戦を遂行したのかを戦略的・作戦的観点から解説した研究として位置づけることができます。2015年に改定されたことによって、さらに長く研究者に読み継がれる文献となるでしょう。

むすびにかえて

ただ、この著作では作戦・戦闘に関する記述がかなり控え目な量に抑えられています。これは著者らが独ソ戦の歴史をバランスよく書くことを目指したためであり、個別の戦役や戦闘に関しては別の文献で研究することが必要になってきます。

例えば、スターリングラードの戦闘を研究する場合は、ドイツ軍の視点であればエリス(F. Ellis)が出した『スターリングラードの巨釜:攻囲の内部と第六軍の撃滅(Stalingrad Cauldron: Inside the Encirclement and Destruction of the 6th Army)』(2013)が、ソ連軍の視点であればグランツとハウスの『スターリングラード三部作(Stalingrad Trilogy)』シリーズを参考文献として挙げることができます(参考文献を参照)。

それ以外の独ソ戦の戦役、戦闘に関しても数多くの研究文献が出ています。参考文献で主要なものをいくつか挙げておいたので、必要に応じて参照してみてください。

武内和人(Twitterアカウント

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参考文献