非正規戦争を指導した毛沢東の戦略思想はどのようなものだったのか

非正規戦争を指導した毛沢東の戦略思想はどのようなものだったのか

2020年4月26日投稿

はじめに

軍事学の領域において中国の政治家毛沢東(1893~1976)は非正規戦争の実践者であると同時に、理論家としても評価されています。

アメリカ海兵隊の士官サミュエル・グリフィス(Samuel B. Griffith II, 1906 - 1983)は毛沢東の著作を翻訳し、1964年の時点で『フォーリン・アフェアーズ』で軍事的観点から見た毛沢東の戦略思想にどのような意義があるのかを考察する論稿を発表しました(Samuel 1964)。近代以降の軍事学の歴史を記した『現代戦略思想の系譜』(1986)では「他のどこを探しても、毛沢東の著作異常に革命戦争の思想の適当な教科書はない」と書かれています(邦訳、723頁)。

確かに毛沢東が書き残した非正規戦争の著述は実践的であるだけでなく、軍事思想史の文脈に位置づけてみてもユニークな内容が含まれています。本稿では、毛沢東の『抗日遊撃戦争の戦略問題』(1938年5月出版)の一部の内容を紹介してみたいと思います。非正規戦争に対する毛沢東の考え方がどのようなものであったのかを説明していきます。

1 遊撃区、根拠地、占領地を区別する

毛沢東の説によれば、敵軍の後方地域において軍事的活動を展開する場合、遊撃区、根拠地、占領地を区別して考える必要があります。

根拠地とは、ゲリラによって完全に占領下に置かれた地域です。それに対して遊撃区はゲリラを送り込んでも、完全に占領するまでには至らない地域です(毛沢東、49頁)。占領地は、敵軍部隊が占領する地域です。

ゲリラは味方の根拠地を保持し、遊撃区を作り出します。そして、段階的に遊撃区を根拠地に組み込み、敵の占領地を後退させていきます。この一連のプロセスで決定的に重要なのは、遊撃区に住む民衆の動向であり、もし民衆がゲリラに味方してくれるのであれば、敵軍部隊を撃滅し、遊撃区をゲリラで占領し、根拠地にすることが可能になると毛沢東は述べています。

「敵を消滅し、民衆をたちあがらせる程度のいかんによって、遊撃区から根拠地の段階に移行できるかどうかが決まる」(同上、50頁)

もちろん、敵軍の動きによっては、根拠地が遊撃区になってしまう場合や、遊撃区を敵軍の占領地にしてしまう場合もあるでしょう。それがゲリラにとっての敗退に当たります。

1940年の日中戦争の情勢図。毛沢東が『抗日遊撃戦争の戦略問題』を著してから2年が経過した情勢であり、日本軍が中国の内陸部に向けて兵力を指向し、占領地を拡大しようとしていることが分かる。こうした占領地に対し、毛沢東はまず根拠地を確保し、そこから遊撃隊を派遣する遊撃区を設定し、日本軍の占領地を後退させていく戦略を構想していた。

確固とした根拠地を建設するための条件は三つある

毛沢東は根拠地を建設するための基本的な条件として、(1)武装組織の創設、(2)敵軍の撃滅、(3)民衆の蜂起の支援を挙げています。

大前提となるのは、武装組織の創設です。これは単に既存の遊撃隊を拡充するという意味に留まりません。毛沢東は敵軍との戦闘を通じて経験を蓄積し、装備を充実させ、段階的に正規軍の体制に移行すべきだと論じているためです(同上)。最初は弱小なゲリラであっても、次第に軍隊として成長させていけば、敵軍を撃滅するだけの能力を獲得することができると期待されています。

次に、遊撃区において敵軍を撃滅し、これを一掃します。非正規戦争の戦略思想として、戦闘を重視することは奇妙なことだと思うかもしれませんが、毛沢東は「敵の根拠地を遊撃戦争の根拠地に変えようとしても、敵にうち勝たなければ実現のしようがないことは、自明の理である」とはっきり述べています(同上、53頁)。

最後に、ゲリラは民衆を蜂起させなければなりません。現地の住民が安全を確保するための「自衛軍」と、遊撃戦を仕掛けるための「遊撃部隊」の二つを組織する取り組みがここで開始されます。注意すべきは、この活動において労働者、農民、青年、婦人、児童、商人、自由業者などを組織化するための団体を結成することが重要だと述べている点です(同上、54頁)。

こうすれば、ゲリラに対して敵意を持っている住民を特定することが容易になるので、根拠地の内部に敵の勢力が潜入する事態を未然に防止できるためです(同上)。

蒋介石(左)と毛沢東(右)は日本軍の中国侵攻に対抗するため、1937年に武力闘争を中断し、手を結ぶことにしたが(第二次国共合作)、両者の立場の隔たりは大きく残っていた。そのため、毛沢東は日本軍との戦争が片付き次第、蒋介石との対決に移行することを考慮する必要があったと考えられる。

根拠地建設の可否は地理的要因の影響を受けやすい

毛沢東の議論で注目すべきは、ゲリラの立場から見て、根拠地を建設しやすい地域と、そうではない地域があると論じている箇所です。彼の分類によれば、根拠地は地理的環境から山岳地帯に置かれる根拠地、平原地帯に置かれる根拠地、河川・湖畔・港湾・川股遅滞に置かれる根拠地の3種類に整理することができます。

この中で最も堅固な根拠地となるのは山岳地帯であり、これは他のゲリラ戦の研究者や実践家によって指摘されてきたことと合致します。山岳地帯と対照的な地形である平原地帯に根拠地を建設し、長期間にわたって保持することが軍事的に可能なのかどうかについては、毛沢東ははっきりした断定を避けています(同上、45頁)。

しかし、「敵が配備兵力に不足しており、未曽有の野蛮な政策をとっている」のであれば、「一時的な根拠地の建設」の可能性はあると分析しており、また小部隊で、固定的ではない根拠地を建設する程度であれば、それは十分に可能だとも述べています(同上)。たがって、平原地帯に根拠地を建設する場合は、小部隊を広範囲に分散配備させることが重要であり、また部隊の根拠地を頻繁に移動するような工夫が欠かせないと考えられています(同上、45-6頁)。

最後の河川等がある場合の根拠地についてですが、山岳地帯より脆弱であるものの、平原地帯よりもはるかに根拠地としての価値は大きいと評価されています。これは単に河川や湖畔が自然障害として利用できるだけではなく、敵軍の兵站線を構成する水運を遮断することが可能になるためです(同上、47頁)。広範囲の占領地を確保しようとする敵軍は水路を封鎖されれば、部隊や物資の移動が大幅に制限されることになります。

結びにかえて

毛沢東の戦略思想を調べると、彼が兵站基地を確保することに大きな注意を払っていたことに気が付きます。これは毛沢東が非正規戦争はあくまでも正規戦争を遂行するための補助的手段であると考えていたことと関係があり、戦略学の立場から見て非常に興味深い論点です。

例えば第一次世界大戦でアラブ軍のゲリラ戦を指導したイギリス軍のロレンスは非正規戦争において正規軍と互角に戦えるような武装組織を創設することに反対し、非正規戦争だけでその戦争目的を達成することが可能であると主張しました。

このような見解に毛沢東は決して同意しなかったでしょう。毛沢東は非正規戦争の戦果をいかに正規戦争の準備へと繋げる方法を明らかにすることを重視していたためです。