呂不韋

呂不韋

呂不韋(Lü Buwei, 前292年 - 前235年)は秦の政治家であり、軍事学史においては『呂氏春秋』を編纂した功績で知られている。

経歴

陽翟(現在の河南禹州)の出身。商人の家に生まれ、商いで富を築いた。趙の人質に出された秦の異人の才覚に注目し、政商として近づいて秦王に即位することを助けた。その功績が認められて丞相に取り立てられた。各地から集めた食客らの知識をまとめて『呂氏春秋』にまとめさせた。この著作は思想や科学などの主題が幅広く取り上げられているが、軍事に関する議論も盛り込まれている。その後、秦王が死去したこともあって、大きな権力を手にしたが、太后と密通を重ねたことをきっかけにして、後継者の政(後の始皇帝)と対立した。丞相を解任されて地方へ蟄居したが、その後も反乱を起こすのではないかと警戒され、蜀への追放が命じられた。この刑に悲観して毒により自決した。

著作

軍事学史において注目されているのは、『呂氏春秋』で展開されている義兵論である。当時の学者の間で語られていた議論の中には偃兵論というものがあり、これは闘争を一切放棄しようとする思想だった。義兵論はこのような思想に対する批判という性格を持っており、もし正当な理由があるなら、武力をもってしても闘争することが肯定されるという主張が展開されていた。例えば孟秋紀の蕩兵篇では、戦争が社会の矛盾によって必然的に発生することが説明されており、闘争することは得ないものとして正当化される、と論じられている。

義兵論は防衛戦争だけを容認する救守論に対する批判も行った。例えば振乱篇では侵略戦争も防衛戦争も武力行使という点で本質的に同じものであるとして、より本質的な問題はその根拠となる正義だと論じた。当時の中国において戦争をどのように解釈するのかは大きな問題とされていたが、『呂氏春秋』はそれまで否定的に見なされがちだった兵、つまり戦争、軍隊、武器を道徳的、倫理的、思想的に肯定する立場を打ち出した点で注目される文献である。