尉繚

尉繚

尉繚(生没年不明、前4世紀?)の出身、職業、経歴はよく分かっていない。武経七書の一冊である『尉繚子』の著者として知られており、先行研究では恵王(在位、前369-319)が登場することから、その時代の人物と推定できるが、その詳細について断定することは困難である。著作『尉繚子』は兵書ではあるものの、国政の根本が農業にあり、またその支配が民衆の価値観に照らし合わせて正当なものでなければならないと説いている箇所も見られる。戦争を適切な政策に基づいて指導することが重要であり、そのことで国家は団結し、賞罰が明確になり、軍隊は勇敢に戦うことができるようになる。戦地において軍隊に厳格な規律を要求するが、部隊の展開や運用においては高度な柔軟さを保つことが重要だとも論じている。その議論は『孫子』の影響をかなり強く受けており、例えば欺騙の重要性を強調し、迅速な機動を重視している部分、そして我の優位な部分をもって、敵の劣位な部分を叩くべきという原則は、『孫子』の軍事思想から継承されたものだと考えられる。『孫子』に比べると数は少ないが、日本語の翻訳で読むことができる。